三河 滝脇陣屋
Takiwaki Jinya

滝脇陣屋跡【愛知県豊田市滝脇町西洞】
  長松院【愛知県豊田市滝脇町西洞31】
  専光寺【愛知県豊田市滝脇町西洞35】
 春日神社【愛知県豊田市滝脇町西洞36】
滝脇小学校【愛知県豊田市滝脇町切石洞18−1】

【立地】山腹

【滝脇松平家】乗清 − 乗遠 − 乗高 − 乗次 − 正勝 = 重信 = 信孝 = 信治 = 信嵩
          − 昌信 = 信義 − 信圭 − 信友 = 信賢 = 信進 = 信書 = 信敏

【歴史】天文年間(1532〜1555年)、松平宗家4代親忠の九男乗清が滝脇へ移り住
み、滝脇松平家の祖となる。1556年2代乗遠の時、大給松平家4代親乗に攻められて討
死。1575年滝脇松平家3代乗高が父兄の仇で大給城を攻める。1600年「関ヶ原の戦
い」の後、4代乗次は600石で滝脇に陣屋を構えた。この後、麻生松平家の正勝が滝脇松
平家の正系を継いだとされ、孫の信孝が駿河国小島1万石を得て、信敏まで続いたと云う。
長松院〔滝脇町〕西側の竹薮が陣屋とされ、曲輪、石垣が残る。


【所感】巴川の支流郡界川に沿って走る県道338号線沿いに専光寺があり、専光寺、春日
神社間の道〔車がギリギリ通れる細道〕を抜けると、右上に長松院が見えます。長松院は、
滝脇松平家初代乗清、2代乗遠、3代乗高の菩提寺になっています。この辺りは郡界川から
北へ上った滝脇小学校を山頂とする南腹にあり、段々畑が在る場所です。畑の西側に見える
竹薮が陣屋跡と云われており、石垣が山の地形に沿って西の陣屋跡から、北、東の長松院ま
で連なり、特に北側は山上へ向って5段程、一二三段になっています。滝脇は民家の庭や畑
の土手にも石垣が多く使われ、陣屋跡の石垣も本当に往時のものか?疑いたくなります。




滝脇陣屋跡全景・山林 竹林



滝脇陣屋跡石垣の場所



滝脇陣屋跡の石垣