三河 滝山城
Takiyama castle

         滝山城跡【愛知県岡崎市宮崎町・明見町】
         宮崎神社【愛知県岡崎市明見町田代89】
      岡崎市役所支所【愛知県岡崎市樫山町山ノ神21-1】
岡崎市農村環境改善センター【愛知県岡崎市宮崎町堂庭9】
   万足平の三つ石・猪垣【愛知県岡崎市中金町万足平】
        大松滝山荘【愛知県岡崎市中金町長沢東26】

【立地】山城
【別称】亀穴城

【歴史】永禄年間(1558~1570年)、滝山の尾根上に三河亀山城主4代奥平美作守
貞能が築いた山城である。1573年武田軍三河侵攻の際、亀山城主貞能・信昌父子は武田
から離反して亀山城から滝山城へ移った。武田勢5000の兵は滝山城南麓の「万足平」に
押し寄せたが、滝山城は堅固であり、援軍の家康軍に包囲され、退却した。奥平勢はこれを
追って田原坂で激戦に及んだ。この戦いを滝山合戦と云う。現在は山林となり、曲輪、堀切
土塁が残る。

【所感】滝山城跡へ登る方法は直登以外に無く、①南から急斜面→城址碑→主尾根、②北か
ら林道→山道→緩斜面→主根道→城址碑、この2通りになります。城址碑が立つ場所は滝山
〔看板アリ・標高381m〕の頂にあり、主尾根の奥の峯〔看板アリ・標高378m〕から
南へ150m程突き出した短い支尾根の先端で、見晴らしが良い場所です。本曲輪とされる
場所は主尾根の「奥の峯」から北東方向80m程先までの尾根を言い、滝山城址碑周辺と同
じく自然地形です。遺構と認められている二重堀切は、本曲輪の北端から100m程主尾根
を東進した頂〔標高363m〕を越えた場所に有ります。1つ目は浅い堀切、2つ目は深い
堀切、堀切間に「空堀跡」の石碑が立っています。二重堀切から500m程主尾根を進むと
、最頂部〔標高397m〕に着きますが、その手前には自然地形ながら本曲輪よりも曲輪ら
しい場所が幾つかあります。最頂部から東ではなく北へ100m程下ると、近年見つかった
堀切状遺構を見ることが出来ます。尾根に対して斜めに切られ、長さは40m前後、幅10
m前後、深さは2~5mで城跡最大の遺構です。私の初登城は2010年。①南から登り、
滝山城址碑のみを撮って下山しました。今回の2025年は②北から登りました。県道37
号線から奥明見川沿いの道を2キロ程進んだ右手の林道から入山。600m先で林道が終点
となり、右に見える沢沿いの山道を進みます。右前に低い尾根が見えてきた辺りで沢を渡り
、尾根に乗っかります。そこから若木が生える緩斜面〔尾根〕を登り切ると、左の堀切状遺
構と右の最頂部の中間に到達し、左の堀切状遺構を撮影後、最頂部から主尾根を歩いて二重
堀切→本曲輪→城址碑へ向かいました。帰りも同じルートで下山。山中では時に方角や場所
が分からなくなることがあるので、縄張図+国土地理院アプリを比較して、現在地をマメに
確認しながら歩きました。岡崎市農村環境改善センターから県道37号線を300m北進し
た左手に亀穴城址碑と看板、大松滝山荘から猪垣・山沿いを北進、右へ周り込んだ場所に滝
山合戦の戦没者を葬った3つの石を集めた史跡「三つ石」もあります。急峻な滝山を見るた
び「この山には二度と登りたくない!」辛かった直登を思い出します。




宮崎神社と滝山城跡



宮崎神社



奥平貞勝公墓所・宮崎神社裏



明見集会場前の直登登城口①



急斜面の直登①



直登①で到達する場所・滝山城址碑近く



滝山城址碑・滝山〔標高361m〕山頂・自然地形



「奥の峯」南の水平尾根・自然地形



本曲輪南端の奥の峯〔標高378m〕・自然地形



奥の峯から続く本曲輪の中間部・自然地形



奥の峯から続く本曲輪の北端・自然地形











二重堀切















滝山尾根道で最も高い頂・標高397m





城域北端の堀切状遺構



堀切状遺構に囲まれた曲輪









登城道②・直登道



登城道②・沢渡り





登城道②・沢沿いの山道









登城道②・林道



登城口②・林道入口



県道37号線→登城口②へ向かう奥明見川沿いの道



亀穴城址碑と滝・県道37号線沿い



万足平の三つ石



万足平の猪垣【県指定文化財】