尾張 丹下砦
Tange fort

  丹下砦跡【愛知県名古屋市緑区鳴海町清水寺】
鳴海代官所跡【愛知県名古屋市緑区鳴海町森下・清水寺】
   光明寺【愛知県名古屋市緑区鳴海町丹下26】


【立地】丘城
【別称】丹下城・鳴海代官所・鳴海陣屋

【歴史】1553年、今川方の鳴海城を包囲すべく、中島砦・善照寺砦と共に築かれた信長方の砦であ
る。鳴海城跡の北500m程に位置する。古屋敷を整備して砦とし、1560年「桶狭間の戦い」の際
、信長軍の水野帯刀・山口守孝・真木与十郎・真木宗十郎・柘植玄藩頭・伴十左衛門尉ら約340名が
布陣した。1562年「清州同盟」の後、廃城になったとされる。1608年鳴海村から相原・平手新
田を分村し、共に尾張家直轄領とした為、名古屋奉行が駐屯した。1782年初め字森下に陣屋が建ち
、鳴海陣屋・鳴海代官所と呼ばれた。代官は飯沼定右衛門〔250石〕・手代4人・足軽3人が常駐。
1860年字清水寺の丹下砦跡へ移るが、1868年7月代官蔦木勝太郎の時に廃止され、名古屋藩南
部総管所へ編入された。場所は光明寺裏の丘上で、現在は墓地、住宅に変わり、遺構は無い。

【所感】県道59号線三王山信号から南東方向の県道222号線へ入り、500m程進んだ灯篭が在る
場所を左へ曲がると、光明寺が在ります。南北に延びる舌状丘陵の南端に在り、境内は綺麗に整備され
ているお寺です。砦跡とされる北側の住宅地へ上ってみましたが、比高は20m程あり、南に在る鳴海
城を見張るに良い地と感じました。


 

光明寺〔写真:左〕光明寺裏の墓地〔写真:右〕