三河 田代屋敷
Tashiro residence

 田代屋敷跡【愛知県岡崎市明見町田代】
岡崎森林組合【愛知県岡崎市明見町田代9−1】

【立地】平地

【歴史】時期は定かではない。領主に奥平治左衛門勝吉、奥平十郎左衛門、奥平与兵衛の名がある。田
代奥平家と称される一族で、奥平貞久の五男兵庫信丘は佐脇〔豊川市御津町〕を領していた。2代信近
・3代治左衛門勝吉の時、宮崎へ移り、田代家を称した。禄高2300石。4代治左衛門に嫡子は無く
、断絶した。1582年武田勝頼没後、武田方であった奥平貞勝は田代へ潜居し、1595年当地で亡
くなったと云う。場所は滝山城跡南麓の岡崎森林組合辺りとされ、現在は空地、住宅、畑地に変わり、
井戸跡が残る。田代屋敷跡に在った奥平九八郎貞勝の墓は、現在、宮崎神社裏に移設されている。


【所感】岡崎森林組合を角とする西側一帯の方形区画が田代屋敷跡とされます。田代屋敷跡を撮ると、
必ず背後に滝山城跡が写ってしまうほど、この山の存在はスゴイものがあります。



 

滝山城跡南麓の田代屋敷跡〔写真:左〕岡崎森林組合〔写真:右〕