駿河 戸倉城
Tokura castle

戸倉城跡・龍泉寺【静岡県駿東郡清水町徳倉1920】

【立地】平山城
【別称】徳倉城・本城山

【歴史】文明年間(1469~1487年)、本城山〔標高75m、比高62m〕に今川氏
が築いたと伝わるが定かではない。1579年「御館の乱」を機に甲相同盟が決裂、武田×
北条両氏が対立し、黄瀬川を挟んで対峙した。同年9月勝頼は沼津に三枚橋城を築き、北条
氏政も黄瀬川東方に泉頭城を築いて対抗。1581年8月北条は柿田川×狩野川合流点に戸
倉城を築いて有利に進めたが、同年10月勝頼は泉頭・戸倉両城を攻め、戸倉城主笠原新六
郎は武田方に寝返った。北条方は大平新城・出城山城に弟の北条氏光を入れて対抗したが、
ここでも合戦となった。しかし、1582年2月信長の『武田氏征伐』で武田方は劣勢とな
り、北条は戸倉城を攻め、三枚橋城も自落。その直後、北条・徳川両軍が駿東地区攻略に動
いた時、三枚橋城に松平康親・康次父子を入れ、戸倉城も家康勢が守備している。1590
年豊臣秀吉の『小田原攻め』の際に廃城になったとされる。現在は本城山公園となり、曲輪
、堀切が残る。


【所感】戸倉城跡は東西約600mの独立丘陵上に築かれ、中央の堀切(金比羅神社跡地の
背後)を境に西尾根と東尾根で性格が分かれます。『西尾根』中央の堀切の西隣りは山が大
きく崩落して尾根を失っているため、西尾根の様子を確認するには、金比羅神社跡から麓に
降りて、少し離れた民家の裏から八坂神社へ上る必要があります。現在、八坂神社は倒壊し
た状態で、その先の大きく崩落した部分は滑落しないようにフェンスが設けてありました。
八坂神社の西には良好な堀切→一二三段の平坦地→笹に覆われた謎のL字溝を持つ平坦地と
なります。『東尾根』は曲輪・堀切・竪堀で構成されています。北駐車場から山頂広場を目
指して丸太段を上ると、城跡で最も広い本曲輪に着きます。切株を模した展望台は、第二次
世界大戦の高射砲陣地跡をして利用して築かれたもので、眼下に市街地、遠くに富士山がよ
く見えます。トイレ横の道を降りると、柵の場所に土橋+堀切が在り、更に下りると、右が
金比羅神社跡方面、そのまま前へ下りて行くと墓地・龍泉寺方面となります。龍泉寺に続く
道が大手道らしく、龍泉寺(屋敷跡)の前に狩野川水運の船着場があったようです。本曲輪
の西側に雑草に覆われて入れない腰曲輪、その下に片堀+土橋を持つ笹が生い茂る曲輪→堀
切→小曲輪2段と続き、南側にも腰曲輪が続きます。戸倉城跡は狩野川がU字に湾曲した内
側に在り、現地へ行くと、要害の地に築かれた城であることがよく分かります。







戸倉城屋敷地・龍泉寺



龍泉寺の前を流れる狩野川+水鳥







北駐車場からの登城道









本曲輪



本曲輪展望台から見た沼津市街地と富士山



本曲輪の東方の堀切



土橋+堀切・本曲輪西側



金比羅神社跡(八幡神社境内に移転)



中央の堀切・金比羅神社の背後



八坂神社東側の細い尾根



倒壊した八坂神社



八坂神社へ上る階段



八坂神社西側の堀切



本城山西麓の八幡神社