越中 富山城
Toyama castle

  富山市郷土博物館【富山県富山市本丸1−62】
      富山県庁【富山市新総曲輪1−7】
富山市佐藤記念美術館【富山県富山市本丸1−33】

【立地】平城
【別称】安住城・浮城・富城


【歴史】1543年頃、神保長職の命により水越勝重が築いたとされる。1572年越中西
部で一向一揆が峰起し、富山城を占拠する。1576年上杉謙信の攻撃で落城となり、城代
として小笠原長隆、上杉信定らが配される。1578年謙信が亡くなると、信長の北陸侵攻
が始まり、信長方に亡命していた神保長住を越中へ入国させ、1581年佐々成政が入る。
成政は攻防を繰り返しながら越中を平定。1584年「小牧、長久手の戦い」の際、織田信
雄、家康軍の呼びかけで、越中の佐々成政、四国の長曽我部元親、紀伊の雑賀、根来衆で包
囲網を敷き、成政は利家に兵を挙げ、能登、加賀の諸城を攻撃。四国、紀伊勢は撃破され、
成政も富山城を包囲され、秀吉に服従するところとなる。1587年成政は肥後国へ移り、
前田氏の所領となる。1597年前田利長、1639年前田利次が入り、その後、正甫−利
興−利隆−利幸−利与−利久−利謙−利幹−利保−利友−利声と続き、利同で明治を迎える
。現在は富山城跡公園と称して曲輪、石垣、水堀の一部が残され、1954年鉄御門の多聞
櫓石垣上に模擬天守が建てられ、1849年に築かれた千歳御殿正門が移築されている。

【所感】富山県庁の南に富山城址公園が在り、公園北側の有料駐車場に車を止めて歩いて行
きました。城跡の雰囲気を感じるのは富山城址公園の南面辺りですが、かなり様子が変わっ
ています。水堀は東西両端が切り取られ、鉄御門手前の多聞櫓台上に模擬天守〔富山市郷土
博物館〕、搦手門辺りは富山市佐藤記念美術館が建てられています。また、東ノ丸の東に在
った千歳御殿の正門が、富山城址公園の東側に門袖石垣と共に再移築中です。何れの建物も
、往時そこに在ったものではないので、大変残念に思います。特に本丸南の鉄御門と多聞櫓
は、復元して欲しかったと思います。


 

 

三重四階 模擬天守・多聞櫓石垣・富山市郷土博物館


 

多聞櫓石垣(左)〔写真:左〕多聞櫓石垣(左)鉄御門跡(右)〔写真:右〕

 

前田正甫公像・本丸〔写真:左〕旧千歳御殿正門・再移築〔写真:右〕

 

多聞櫓・西ノ丸南の水堀〔写真:左〕本丸南東の隅櫓辺り〔写真:右〕