三河 畔田城
Kuroda castle

   畔田城跡【愛知県豊橋市城下町築地ノ内】
マルはつり具店【愛知県豊橋市城下町北方部221−4】

【立地】丘城
【別称】赤沢城・畔田屋敷

【歴史】遠州灘に面した標高67m、比高65mの台地上に築かれ、1461年以前より畔田遠江守、
弟修理亮が居住した城とされる。畔田氏は、畔田城を本城として草間城・雉子山城・中瀬古館・上地城
に一族を配して勢力を張っていたと云う。1475年戸田宗光の侵出で、畔田氏もその配下となり、今
川氏に属して後、遠江国平川郷へ没落して去った。現在は曲輪、空堀、土橋、土塁が残る。

【所感】国道42号線城下信号から曲りくねった細道を南下し、2つ目の辻を西へ折れて200m程進
むと、右手に「マルはつり具店」、その手前右手に「畔田城跡」の木碑〔現在は字が消えています〕が
在ります。この木碑前の砂利道を進み、左の民家へ入らず、正面の山道を登って行きます。上り坂が終
わると、土橋手前に三の郭、土橋を渡って二の郭、更に土橋〔木橋〕を渡って本郭となります。三の郭
−二の郭間の土橋は比較的自然な形で両脇に堀が在りますが、主郭−二の郭間の土橋は、現在、木橋が
架かっており、橋の下の溝は西側の竪堀へ落ちています。土橋東側の堀は西側とは全く違う不自然さを
感じるぐらいの広さがあり、二の郭の形もいびつで狭いことから、削り採られたような感じを受けます
。更に言うと、木橋の所で主郭と繋がっていたのでは…とも感じます。主郭には祠の背後に土壇状の盛
り上がりが在りますが、他に土塁は在りません。東側と西側の下を覗くと、落ちたら登れない壁のよう
な谷で、これなら土塁は要らないかなと感じました。海沿いに在るので、遠く波の音が聞こえ、生えて
る自然木も少し違うので、山とも平野部とも違う雰囲気が味わえる城跡です。



 

三の郭入口脇の土塁〔写真:左〕三の郭〔写真:右〕



二の郭−三の郭間の土橋

 

三の郭側から見た二の郭〔写真:左〕主郭側から見た二の郭〔写真:右〕



主郭−二の郭間の土橋

 

土橋西側の堀〔写真:左〕土橋東側の大堀〔写真:右〕

 

主郭北側の土壇と道〔写真:左〕主郭〔写真:右〕