三河 占部城
Urabe castle

 占部城跡【愛知県岡崎市国正町西浦・竹ノ下】
渡辺木工所【愛知県岡崎市国正町西浦7】
  勝鬘寺【愛知県岡崎市針崎町朱印地3】
  守綱寺【愛知県豊田市寺部町2丁目27】

【立地】平城

【歴史】築城年は定かではない。渡辺道綱が三河国額田郡浦部村に移住、築城したことに始まる。その
子範綱より松平宗家〔桜井松平家〕に仕え、氏綱−高綱を経て、槍の半蔵で知られる渡辺半蔵守綱〔1
542〜1620年〕へ続く。1563〜1564年「三河一向一揆」の時、熱心な一向門徒の高綱、
守綱父子は家康軍と対峙し、高綱は討死。守綱は許されて家康に仕えた。その後、1572年「三方ヶ
原の戦い」1575年「長篠の戦い」1584年「小牧、長久手の戦い」などで戦功を挙げた。159
0年家康関東移封に伴い、守綱も武蔵国比企郡3000石を得、1600年「関ヶ原の戦い」の後、1
000石の加増を受けた。1610年尾張初代藩主徳川義直の附家老に転じ、1613年1万4000
石で寺部城の地〔豊田市寺部町〕に陣屋を構えた。1614〜1615年「大坂の陣」で義直の初陣を
補佐し、1620年没した。「徳川十六神将の一」現在は宅地になり、土塁の一部が残る。


【所感】県道43号線と占部川が交差する思案橋北西の真妙寺、国正町公民館辺りが字竹ノ下で、更に
北西の渡辺木工所辺りが字西浦になります。木工所の並びの最西部の家が城跡と云われ、田んぼ側の宅
地端に土塁の一部が見られます。畑で働く人に訪ね、城跡とされるお宅を親切に教えてもらいました。


 

占部城跡辺り〔写真:左〕渡邊高綱戦死地の石碑・勝鬘寺〔写真:右〕