尾張 鵜多須代官所
Utasu chief administrator place

鵜多須代官所跡【愛知県愛西市鵜多須町大山西】
 横井毛織工業【愛知県愛西市鵜多須町上中山87】

【立地】平地
【別称】鵜多須陣屋

【歴史】1781年名古屋の大火を機に郡奉行が廃止され、領内の各要所に代官所が設置された
。1782年4月鵜多須代官所が設置され、約90年24人の代官が任命された。主な仕事は地
方行政一般で、蔵入地の貢租の決定、取立、諸運上の調査徴集、宗門改帳・人別帳・五人組帳の
検査、土木工事〔河川堤の普請・橋の架け替え・杁の伏せ替〕、治安維持〔警察・裁判・調停〕
、勧農など行政上の全ての権力を持たせた。代官所の定員は代官・手代5人・並手代1人・足軽
〔同心〕3人・小使5人程であり、代官所には代官・手代・同心が居住し、近隣には代官所へ出
頭した庄屋などへの食事・宿泊のため郷宿も在った。1871年10月廃止となる。神明社脇に
鵜多須代官所跡の看板が立ち、現在は住宅となり、遺構は無い。


【所感】県道130号線野田信号を1.5キロ程南下した右側、もしくは県道128号線鵜多須信
号を900m程北上した左側に神明社、鵜多須代官所(陣屋)跡の看板が在ります。横井毛織工
業の斜め前です。看板の右隣りのエリアが代官所跡で、愛西市と稲沢市の市境線の南に隣接して
在ります。



 

鵜多須代官所跡の看板・神明社〔写真:左〕鵜多須代官所跡辺り〔写真:右〕