尾張 内海砲台
Utasumi Hodai

     内海砲台跡【愛知県知多郡南知多町内海字山尾】
南知多観光ホテル大新【愛知県知多郡南知多町内海字一色68】
     旅館一色荘【愛知県知多郡南知多町内海字山尾53−1】

【立地】丘地

【歴史】1854年、標高30mの丘陵上に尾張藩が置いた台場で、知多半島では師崎砲台
と共に2箇所設置された。1850年師崎と内海に砲台築造決まると、舟奉行千賀與八郎ら
が鳴海代官、横須賀代官と実地見分を行った。内海台場は東端マカ田の丘陵上に築くことが
直ぐに決まったが、師崎は林崎、幡豆崎先端、高岩谷などの候補が挙げられ、大風や高潮に
よる影響、砲台構築による弊害も含めて検討され、最終的に林崎に決定した。1854年1
月に着工し、半年後に完成。大砲は尾張藩御用鍛治の水野太郎左衛門が鋳造したもので、砲
台完成前に海路で運び、千賀屋敷に預けられたと云う。12貫目ホウイッスル砲1挺、5貫
目矢筒2挺、1貫目矢筒1挺、3貫目カノン砲が略車台とセットで備えられた。内海砲台東
側の尾根伝いに内海烽火台が置かれ、北側に切通しを築いて車台に乗せた大砲を移動させた
り、砲台と海岸を連絡させた。砲座は岩盤を穿って築かれ、昭和40年代までは砲台北側に
弾薬庫が残っていたと云う。現在は雑木林となり、切通し、平坦地、土塁、砲座跡が残る。


【所感】南知多観光ホテル大新の国道247号線を挟んだ向かいの脇道を入り、左手の旅館
一色荘から200m程進んだ右手の砂利道が切通しで、細道の左上が砲台跡になります。砲
台跡は北側から入るようですが、現在は草木が凄くて中へは入れません。切通し側は粘土質
のような岩盤が崩れて絶壁になっています。切通しの先は民家ですが、伊勢湾がよく見える
高台であることは間違いありません。




南側から見た切通し