伊予 宇和島城
Uwajima castle

宇和島城跡【愛媛県宇和島市丸之内1丁目】

【立地】平山城
【別称】鶴島城・板島丸串城
【天守の構成・形式】独立式層塔型天守

【国重要文化財】宇和島城天守
【国指定史跡】宇和島城跡

【歴史】宇和島が板島と呼ばれていた戦国期、1546年家藤監物、1575年西園寺宣久
の居城となり、城は板島丸串城と呼ばれていた。1585年豊臣秀吉の四国征伐により西園
寺氏は衰退、伊予国は小早川隆景の支配下となり、板島丸串城は隆景の家臣持田右京が城代
となった。1587年隆景が筑前へ転封して後、戸田勝隆が宇和郡・喜多郡を領して大津地
蔵嶽城へ入り、板島丸串城は家臣戸田与左衛門が城代となった。1595年「文禄の役」参
戦中、勝隆は病没、代わって藤堂高虎が7万石で入る。1596年宇和島城着工。1600
年「関ヶ原の戦い」の戦功から高虎は伊予半国20万石の大名となり、国府〔今治〕へ移っ
たが、宇和島城の工事は継続され、1601年完成。1608年伊勢国安濃津より富田信高
が10万石で入封、1613年改易・除封、宇和郡は一時幕府領となり、藤堂高虎が代官と
なる。1614年「大坂冬の陣」後、陸奥国仙台藩主伊達政宗の庶長子秀宗が宇和郡17郷
279村10万石を領し、1615年入封。板島を宇和島と改めて立藩した。就封時に莫大
な費用が掛かった為、父伊達政宗より6万両を借用、3万石/年を返済する計画としたが、
1620年大坂城の修築助役を命ぜられ、更に藩財政は悪化。財政責任者の山家清兵衛公頼
が殺害される事件まで起こった。1657年三男宗利に家督を譲った際、五男宗純に伊予国
吉田3万石を分与し、吉田藩を立藩。宇和島藩は7万石になる。様々な藩政改革を行い、1
696年宗贇の時、新田分を高直しを幕府に願い出て10万石に改められた。その後、村年
−村候−村寿−宗紀−宗城と続き、宗徳で廃藩置県を迎える。1937年国史跡に指定され
、1950年天守が国重要文化財に指定される。現在は城山公園と称され、天守、門、井戸
、曲輪、石垣などが残る。

【所感】愛媛県最初の訪城先が宇和島城でした。松山空港からレンタカーで高速、一般道を
乗り継いで宇和島市に到着。名物の鯛めしを食べて後、駐車場が在る藩老桑折氏武家長屋門
から登りました。初めに井戸丸の大井戸、次に二の丸、櫛形門跡の石段を上り切ると天守で
す。最上階から西方を見ると、眼下に本丸・二の丸、遠方に宇和島港が見えます。ここから
藤兵衛丸→長門丸→代右衛門丸→式部丸を経て、反対側の上り立ち門へ下りるルートで行き
ました。国道56号線沿いを歩いて戻る途中に山家公頼邸跡の和霊神社も在ります。宇和島
城は建物の少ない城跡ですが、野面積み・打ち込みハギ・切り込みハギなど、建設時期が異
なる石垣を見ることが出来ます。






三重三階 天守【国重要文化財】



天守3階内部



天守2階内部



天守1階内部



天守からの景色



台所跡・本丸



櫛形門(一の門)跡・本丸



二の門跡



三の門跡





井戸丸の井戸跡



井戸丸門跡



井戸丸北面の石垣



藤兵衛丸・城山郷土館



藤兵衛丸東端の石塁



北角矢倉台・藤兵衛丸





藤兵衛丸南側の雷門跡



藤兵衛丸西面の石垣・藤堂高虎作



宇和島城の石碑・長門丸



長門丸・上水道城山配水池



長門丸・公園



長門丸門跡



代右衛門丸入口・立入禁止



代右衛門丸南面の石垣



煙硝矢倉台・代右衛門丸



式部丸の井戸



式部丸西面の石垣



上り立ち門




山家公頼邸跡・丸の内和霊神社




藩老桑折氏武家長屋門・三の丸



藩老桑折氏武家長屋門背後の登城口