紀伊 和歌山城
Wakayama castle

和歌山城【和歌山県和歌山市七番丁23 】

【立地】平山城
【別称】若山城・虎伏城・虎伏山城・竹垣城
【天守の構成・形式】連立式層塔型天守

【国指定史跡】和歌山城跡
【国重要文化財】和歌山城岡口門(岡口土塀)
【国名勝】和歌山城西之丸庭園

【歴史】1585年豊臣秀吉は紀州平定後、弟秀長に紀伊・和泉2国を与え、自ら虎伏山〔
標高49m〕を城地と定め、藤堂和泉守高虎・羽田長門守一庵法印に城を築かせた。秀長は
大和郡山城を居城としていた為、1586年秀長の家臣桑山理亮重晴に2万石を与えて城代
とした。1600年「関ヶ原の戦い」の軍功により浅野長政が甲斐国府中から37万600
0石余で移り、直ちに領内検地を行い、藩の基礎を固めた。1613年幸長没後、嫡男長晟
が継ぐが、1614〜1615年「大坂の陣」の功により、1619年安芸国広島42万石
6000石余へ移封。替わって徳川家康の十男徳川頼宣が駿河国府中50万石から紀州国和
歌山55万5000石で入封。幕府は付家老安藤直次を田辺城、水野重央を新宮城に置き、
銀2000貫を与えて城の整備を命じた。1621年城の拡張に動き、大手門を東南の岡口
門から北方の一ノ橋口に改め、南の丸を設けて高石垣を築いた。余りにも大規模な工事であ
った為、幕府の疑惑を受けたが、安藤直次の弁解で事無きを得た。1629年南の丸櫓台、
吹上口石垣などを普請、正保年間(1644〜1648年)、城下の南、新堀付近から水軒
浜まで新たに外堀を築いていたが、再び幕府に疑われ、工事途中で中止となった。1651
年由井正雪一党が天下を覆そうとした「慶安事件」が発覚した時、頼宣は黒幕の疑いを受け
て江戸城に呼び出され、10年間紀州へ帰国出来なかった。1655年11月西の丸門前の
都築某の屋敷より出火、二の丸まで延焼している。1667年頼宣は隠居、嫡男光貞が家督
を継ぎ、弟頼淳は幕府から3万石を与えられ、伊予国西条藩主となった。光貞の代で嫡男綱
教と5代総軍綱吉の娘鶴姫との婚礼費が嵩み、江戸屋敷の火災、高野山騒動の出兵費など臨
時支出が多くなり、藩財政は窮乏へ向かった。1698年光貞は退き、綱教−頼職と続くが
、1705年5月綱教・9月頼職が没した為、弟頼方が紀州5代藩主に就き、将軍綱吉の諱
をもらって「吉宗」と改称した。吉宗は藩財政の建て直しを決意、倹約をもって範を示す為
、初登城の際、小倉織の袴に木綿の羽織の姿で上った。1707年より家臣に対して二十分
の一の差出金を命じ、町民・農民に御用金や新税を課し、新田の開墾・殖産興業に努めた。
1710年差出金を免除、幕府からの借財も返済可能となり、1722年頃には和歌山城の
金蔵に14万887両と米1万6400石を蓄えられるまでに至った。1716年8月吉宗
が徳川宗家8代将軍に就任すると、西条藩主頼純の次男宗直が紀州6代藩主を継ぎ、宗将−
重倫と続いたが、粗暴の風評があった重倫は30歳で隠居を命ぜられ、1775年西条藩主
であった治貞が継いだ。治貞は吉宗に倣って藩財政窮乏を打開する為、櫨や松の植林、綛糸
の販路拡大などに努め、家臣に対して厳しい倹約と判知の断行を命じた。1789年治貞没
後、治宝が継ぎ、医学館を創設、江戸屋敷に明教館、松阪に松阪学校を設立した。1813
年11月二の丸大奥を全焼。治貞隠居後、11代斉順−12代斉彊−13代慶福−14代茂
承と続き、明治を迎える。1846年12代斉彊の時、天守に落雷して、大天守・小天守・
櫓4棟・蔵3棟・多聞櫓63間などを焼失。天守再建は徳川御三家の家格から特別に認可が
下り、1650年に三重の天守が完成した。1945まで国宝であったが、戦災で焼失。1
958年天守群建物、1983年大手門、一の橋などが復元され、岡口門が国重要文化財に
指定されている。その他、名勝西之丸庭園、水掘、石垣が残され、和歌山城公園の名で親し
まれている。


【所感】14年ぶりに来ました。先回は短時間の滞在で主要な所を撮って終わりましたが、
今回は4時間半しっかり回って撮りました。和歌山城の最大の特徴は姫路城・伊予松山城と
同じ連立式天守であること。天守・小天守と隅櫓・櫓門・多聞櫓・台所が四角い形で連結し
ており、内部は展示室、一周歩いて見学することが出来ます。他にも現存の岡口門と土塀、
長く横たわる雁木、復元された門、高く積まれた櫓台、水堀、庭園など見所も沢山。紀州に
来たら、やっぱり和歌山城へ行かないと!




復元 追廻門



不明門前の高櫓台石垣



不明門跡



復元 大手口門と一の橋



大手口門近くの井戸跡



一中門跡



御蔵の丸東端の雁木



砂の丸高石垣と石段



鶴の門跡



切手門跡



二の丸・大奥跡





西の丸−二の丸間の廊下橋



西の丸庭園







水堀



台所門跡



銀明水井戸跡



裏坂の石垣



本丸裏門跡



現存 岡口門【国重要文化財】



岡口桝形内の井戸跡



松の丸櫓台



松の丸櫓台から見た岡中門跡



表坂登り口



天守一の門跡



本丸



復元 本丸から見た天守





復元 天守曲輪下段から見た天守



復元 二の門櫓と天守二の門



復元 天守二の門



復元 二の門櫓



復元 乾櫓

 

天守曲輪〔写真:左〕小天守・内部入口〔写真:右〕



天守から見た櫓群

 

小天守1階〔写真:左〕小天守2階〔写真:右〕

 

天守1階〔写真:左〕天守2階〔写真:右〕

 

天守3階〔写真:左〕天守−天守二の門間の多聞櫓〔写真:右〕

 

天守二の門〔写真:左〕二の門櫓1階〔写真:右〕

 

二の門櫓2階〔写真:左〕二の門櫓−乾櫓間の多聞櫓〔写真:右〕

 

乾櫓1階〔写真:左〕乾櫓−台所間の多聞櫓〔写真:右〕



復元 天守曲輪北側の埋門



南の丸西端の桝形虎口



南堀〔空堀〕・つつじ園