陸奥 涌谷城
Wakuya castle

涌谷町立史料館【宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町3−2】
   涌谷神社【宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町7】

【立地】丘城
【別称】涌谷要害・涌谷館

【歴史】中世、大崎氏の支流涌谷氏の居城であったが、1590年秀吉の「小田原征伐」に
参戦しなかったことを理由に所領を没収され、1591年伊達政宗の家臣亘理重宗〔亘理家
を継いだ伊達稙宗の十二男元宗の子〕が8800石で入る。1606年伊達姓を賜り、16
15年「一国一城令」の際、涌谷要害と改め、涌谷伊達氏2万2600石余の居城となった
。定宗を経て、宗重は新田開発を積極的に進めていたが、隣りの登米領主伊達宗倫と谷地争
いを起こす。これが伊達騒動の一因となり、1671年幕府の家老酒井忠清邸で船岡領主原
田宗輔に刺殺された。1869年涌谷県庁が置かれ、1873年廃城となる。現在は本丸に
涌谷神社、二の丸に涌谷町立史料館、城山公園が築かれ、二の丸詰の門付近の石垣、183
3年建設の太鼓堂、曲輪、堀などが残る。


【所感】江合川に架かる涌谷大橋東の信号を川沿いに北へ進むと、右上に天守を模した涌谷
町立史料館が見えて来ます。模擬天守を通り過ぎ、涌谷神社へ向う右手の坂道を上ると、左
手に駐車場が在ります。江合川に沿うように長い平地で、北に涌谷神社、南側は城山公園に
なっています。この日、史料館は閉まっていましたが、太鼓堂、石垣を見ることが出来て満
足でした。


 

現存 太鼓堂遠景〔写真:左〕二の丸石垣と太鼓堂〔写真:右〕