尾張 山田重忠館
Yamada shigetada yakata

山田幼稚園【愛知県名古屋市北区山田町4丁目42】
  廣福寺【愛知県名古屋市北区山田町4丁目42−1】


【立地】平地
【別称】山田重忠屋敷

【歴史】鎌倉幕府開府時期の山田次郎重忠の館とされる。清和源氏の流れを汲む源重宗の一
族が尾張国山田へ移住し、山田氏を称したことに始まる。1180〜1185年「治承・寿
永の乱」で、父の山田重満は源行家に味方し、墨俣川の戦いで討死している。1221年「
承久の乱」の際、重忠は後鳥羽上皇に味方し、美濃墨俣川で北条義時の幕府軍を迎え撃った
。大軍の来襲で戦にならない中、重忠自身は僅か90余騎で勇敢に立ち向かったが、力及ば
ず、抗瀬川、瀬田と後退し、最後、嵯峨般若寺山で自害した。現在は山田幼稚園門横に石碑
が立ち、遺構は無い。

【所感】国道19号線山田4信号交差点から南進し、2つ目の路地を左へ入ると、左手に山
田幼稚園が在り、園門横に石碑が立っています。





山田重忠舊里の石碑・山田幼稚園