遠江 社山城
Yashiroyama castle


    社山城跡【静岡県磐田市社山471−2】
    八幡神社【静岡県磐田市社山472】
とよおか歯科医院【静岡県磐田市上神増952−3】

【立地】山城
【別称】水巻城・八代山城

【歴史】築城年、築城者は定かではない。寛和年間(985〜987)、参議中将藤原友実
の長子鷺坂〔匂坂〕十郎則実が築き、2代六郎右衛門長兼−3代六郎太郎長重−4代六郎重
長−5代四郎左衛門尉能長を経て、11代六郎右衛門入道長能の時、匂坂城主になったとさ
れるが、その所伝の信憑性は低いと云う。しかし、明応年間(1492〜1501年)には
社山城は存在していたようである。往時の遠江は今川氏と斯波氏の新旧守護勢力抗争の接点
であり、1500年3月旧守護斯波義寛が遠江の失地回復を目的に弟斯波義雄を社山に送り
込んだが、1501年義雄は今川氏親によって二俣へ追われ、今川方の城になった。一方で
文亀・永世(1501〜1521年)、今川方の二俣近江守昌長築城説もある。1532年
頃、菅沼重左衛門定平(広)が護り、永禄年間(1558〜1569年)大賀源次郎−山田
八造国時が城主となり、1568年12月〜1575年12月、徳川×武田の攻防戦が繰り
広げられた。1573年徳川家康が社山に砦を構えている。廃城年は不明。現在は山林、神
社となり、曲輪、堀切、横堀が残る。

【所感】15年ぶりの訪問です。社山城跡の麓には「社山城跡入口」の標柱が立つ舗装路が
3つありますが、地元の方に確認したところ、1つは直ぐに舗装路が終わって歩く道は草が
生い茂って通れないと言われました。最も分かり易い道を紹介すると、下の写真@→A→B
→C→Dです。とよおか歯科医院前の丁字路に@「社山城跡入口」の標柱が立ち、慈眼寺へ
向けて300m程走ると、A諏訪神社・慈眼寺に着きます。更にS字の道を400m程上る
と、右手丁字路にB「社山城跡入口」の標柱が立ち、ここを右折します。140m上ると、
C「社山城跡入口」の標柱が立ち、右へ進みます。D茶畑を横に230m程進んだ舗装路が
終わった場所が登城口で、私は道を塞がないように車を止めさせてもらいました。もう1つ
は城跡北東のEから道なりに260m登ると、Cの場所に着き、Dも同じです。整備された
山林内の道を入り、丸太段を上ると、右手に横堀が目に入って来ます。城域で最北の横堀で
、その上にも浅い堀らしき段が在り、二重で防御しているように思われます。木橋を渡ると
、登城道整備の為に埋めたような土橋と立派な堀切が在ります。次の木橋右手に土塁の標柱
が立ち、奥まで横堀が続いています。この横堀は本丸の北側に在るもので、外側にも浅い堀
切を設け、二重で防御しています。再び木橋へ戻ると、本丸北側の横堀が木橋の下を通って
竪堀となって落ちていることも分かります。登城道最後の木橋を渡ると、八幡神社が本丸で
す。昔と違い、曲輪内の木が倒されて陽光が射すようになりました。本殿裏手に土塁らしき
高まりが在りますが、これは神社建立の際に削り取られた跡と思われます。本丸の南西側を
覗くと、横堀と土塁が見えます。これは本丸北側から来ている横堀ですが、途中、崖崩れで
途切れてます。この横堀から急斜面を下りると、堀切が在るようですが、今回は断念しまし
た。本丸西側の堀切を渡ると二の丸です。虎口右手に土塁〔稲荷神社〕が在り、二の丸〔雑
木林〕を奥へ進むと、浅い堀切で一旦曲輪が仕切られ、奥の曲輪〔雑木林〕の先には高低差
がある二重堀切が在ります。本丸の横堀、二の丸両側の深い堀切が見どころの城跡です。


 

@社山城跡入口・とよおか歯科医院前・県道44号線沿い〔写真:左〕A慈眼寺〔写真:右〕

 

B社山城跡入口〔写真:左〕C社山城跡入口〔写真:右〕

 

D社山城跡登城口手前の道〔写真:左〕E社山城跡入口の舗装路〔写真:右〕



社山城跡登城口



登城道



城域北端の横堀



登城道



登城途中の堀切



本丸北側の横堀



本丸北側の横堀から竪堀へ



本丸手前の登城道



本丸・八幡神社



本丸南西側の横堀と土塁



本丸南西側の竪堀



二の丸−本丸間の堀切



二の丸西端の土塁



二の丸



二の丸西側手前の堀切





二の丸西側奥の堀切