三河 八劔山陣所
Yatsurugiyama camp

   八劔山陣所跡【愛知県新城市竹広〔字宮川〕】
    東郷中学校【愛知県新城市竹広162−2】
新東工業新城製作所【愛知県新城市大宮字南貝津3−35】

【立地】丘地

【歴史】1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」の際、西の大宮川、東の
連吾川に挟まれた標高100m、比高30mの丘陵上に布陣した徳川家
康の陣所とされる。家康は5月18日設楽原に着くと、八劔神社に本陣
を置き、武田の騎馬隊に対して連吾川西岸に馬防柵を造った。開戦する
と、家康は武田軍が一望出来る最前線の物見塚へ移り、指揮をとった。
大久保忠世、大須賀康高、榊原康政、本多忠勝、石川数正、鳥居元忠、
内藤家長らは連吾川右岸の川路、竹広地区に布陣したと云う。現在は山
林となり、平坦地が在る。


【所感】国道151号線富永新知信号交差点から東へ進み、大宮川を渡
って左1本目を入ると、右手に東郷中学校、正面に八劔神社が在ります
。神社入口には「徳川家康本陣跡」の大きな説明看板と「徳川家康本陣
地」の石碑が在ります。情報少なく訪ねた為、「家康物見塚」を見逃し
てしまいました。陣所跡とされる東郷中学校裏手の丘山は古墳群が認め
られ、その1つが「家康物見塚」になります。丘山の北には石座神社陣
所と同じように土塁、堀状遺構が在ります。東西方向に全長180mに
亘って在りますが、もし合戦時に築いたとしたら、東からの攻撃に備え
て南北に築かれるのが自然です。元禄期の古文書には土塁状遺構をもっ
て山論時の境界を定めたと記録がある為、合戦以前から存在した可能性
が高いようです。


 

八劔山陣所跡遠景〔写真:左〕家康物見塚跡の石碑〔写真:右〕

 

徳川家康本陣地の石碑・八劔神社〔写真:左〕徳川家康本陣地・八劔神社〔写真:右〕

 

家康物見塚跡辺り〔写真:左〕長篠役設楽原決戦場の石碑・山岡荘八氏書〔写真:右〕