尾張 横須賀御殿
Yokosuka Palace

    横須賀御殿跡【愛知県東海市高横須賀町御亭・烏帽子・栗ノ木・町新田・葭山・呉天石・御洲浜】
  東海市市民体育館【愛知県東海市高横須賀町御亭2−7】
東海市立勤労センター【愛知県東海市高横須賀町桝形1−7】
     本川樋門跡【愛知県東海市高横須賀町烏帽子】
“可家の湊跡”の看板【愛知県東海市高横須賀町御洲浜】

【立地】平地
【別称】臨江亭・滝川半斎屋敷・横須賀代官所

【歴史】初め、尾張藩士滝川半斎時成の隠居屋敷であったが、1666年尾張藩2代藩主徳川光友は滝
川半斎の屋敷、知行替えを行い、同地に御殿「臨江亭」を築いた。御洲浜に池を囲む大回遊庭園が築か
れ、その間の栗林、畑なども含めて、全体を木柵で囲み、内側に松並木が在ったと云う。完成後、しば
しば来臨したが、1715年建物が大破し、取り壊された。1783年御殿跡地に横須賀代官所が置か
れ、代官として進四郎左衛門−斉藤弥平が務めたが、1804年8月に廃止され、鳴海代官支配支配と
なった。1811年10月に復活し、山本平太夫−石川常十郎−斉藤弥五郎−寄田清太夫−神田喜三郎
−小山清次郎−渡辺次郎兵衛−松田庄太夫−渡辺源六郎−岡田喜太郎−半田小兵衛−吉田次郎吉−岡崎
弥兵衛−桜木助左衛門−奥田伝蔵−正木文蔵と、1868年まで知多半島西岸の行政拠点として機能し
た。現在は工場、店、住宅に変わり、遺構は無い。

【所感】東海市市民体育館、勤労センターの駐車場東に「公家緑道」と称される長いウォーキング道が
在り、そのスタートとなる「御殿の広場」に横須賀御殿の絵図、説明看板が立っています。ここから東
方へ向って公家緑道を歩き、北へ南へ折れて、最終地点は国道155号線、名鉄尾張横須賀駅になって
います。道中に休憩所や遊戯広場・常夜灯・やかた船・池・泉・トイレなどが在り、飽きない工夫がさ
れています。国道155号線、国道247号線が交差する高横須賀町信号を北へ400m程進み、右へ
入ると、ホテルに囲まれて「御洲浜の池」が在ります。池の南側に在る説明看板の裏手は葦が茂り、初
め池とは分からず、ウシガエルの鳴き声で何とか分かった次第です。



 

横須賀御殿の看板〔写真:左〕横須賀第止碑〔写真:右〕

 

本川樋門跡の看板と樋門石〔写真:左〕“可家の湊跡”の看板〔写真:右〕