遠江 米津台場
Yonezu Daiba

      米津台場跡【静岡県浜松市南区新橋町】
   トーモク浜松工場【静岡県浜松市南区新橋町2400】
浜松市南土木整備事務所【静岡県浜松市南区堤町1011】

【立地】平地
【別称】御台場

【市指定史跡】

【歴史】1855年幕府の命により、浜松藩主井上河内守正直が武士と付近の農民に築かせた砲台であ
る。浜松藩が異国船来航に伴う海防態勢を整え始めたのは、後に老中を勤めた水野忠邦と云う。藩領の
海岸線に8つの遠見番所・4つの台場設置、狼煙・早飛脚による通信網の整備も予定していたが、18
45年忠邦が「天保の改革」で失敗して出羽国山形へ転封になった為、代わって井上正春が引き継いだ
。翌1846年遠州灘にアメリカのビッドル艦隊が現れ、1853年ペリー率いる7隻の軍艦が開国を
求めて来航したことで、井上正春〔1847年没〕の跡を継いで、井上正直が幕府より台場造営の命を
受けた。1856年5月に完成。米津台場は3基築かれ、高さ27m・周囲72m、基底部を石積みに
した円丘であった。砲身は5m50cm程、重量は2t程の大砲を乗せた。現在は3砲台〔東・中・西
〕のうち中台場が保存され、高さは6m程になっている。

【所感】国道1号線〔浜名バイパス〕米津信号交差点から150m程南下すると、左手に米津台場跡の
看板、その背後に台場跡が在ります。トーモク浜松工場の北、浜松市南土木整備事務所の東に位置しま
す。私はてっきり米津町に在ると思い、町内をうろうろしていましたが、畑で働く人に教えてもらって
辿り着きました。海岸線から600m程後退しており、国道1号線に平行して連なる防風・防砂林の松
並木の一部となっています。



 

南から見た米津台場跡〔写真:左〕米津台場跡〔写真:右〕


 

台場跡の石碑〔写真:左〕米津台場跡の看板〔写真:右〕