播磨 姫路城
Himeji castle

姫路城【兵庫県姫路市本町68】

【立地】平山城
【別称】白鷺城
【天守の構成・形式】連立式層塔型天守

【ユネスコ世界文化遺産】姫路城
【国宝】姫路城大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、
    イ・ロ・ハ・二の渡櫓
【国特別史跡】姫路城跡
【国重要文化財】姫路城井廊櫓、化粧櫓、カの渡櫓、ヌの櫓、菱の門、備前門、太鼓櫓、
        折廻り櫓、との一門、との二門、水の一門、水の二門、築地塀、土塀ほか

【歴史】1333年赤松則村が砦を築き、1346年則村の次男赤松貞範が姫山(標高45
m)に姫山城を築いたことに始まる。その後、一族の小寺頼季、1441年山名宗全の持ち
城となり、1467年赤松政則、1469年小寺豊職、豊田氏を経て、小寺職隆に至った。
1580年秀吉の毛利攻めの際、小寺職隆の子黒田官兵衛孝高から城を譲られ、中国進出の
最前線として鷺山も含めて、三重天守を持つ大城郭を築いた。1583年秀吉は大坂城を築
いて移り、弟秀長が入り、1585年秀吉の正室祢々の兄木下家定が入った。1600年「
関ヶ原の戦い」の後、池田輝政が播磨国52万石で入り、姫路藩を立藩した。この後、現代
に残る城郭を9年に亘り大改修し、1613年池田利隆、1616年池田光政と続いた。1
617年伊勢国桑名より本多忠政が入る。1626年長子忠刻が病没、1638年次男政朝
が没した為、1631年忠政の弟忠朝の子正勝が家督を継いだ。1632年大和国郡山へ移
り、代わって奥平松平忠明−忠弘、1648年越前松平直基−直矩、1649年榊原忠次−
政房、1667年越前松平直矩が再封、1682年本多忠国、1704年榊原政邦−政祐−
政岑、1741年越前松平明矩−忠恭−忠以−忠道−忠実−忠学−忠宝−忠顕−忠績−忠惇
と続き、忠邦で明治を迎えた。1956年から9年間、昭和の大改修が行われ、天守群が国
宝に指定される。1993年ユネスコ世界文化遺産登録。その他、櫓、門、塀などが数多く
の建物が重要文化財に指定されており、現在に残る日本一の名城である。

【所感】姫路駅を降りて目の前に姫路城が見えた時、第一声が「さすが姫路城」。この日は
市民マラソン大会の日で、三之丸に多くの人が集まっていました。ちょっと引いてしまいま
したが、城内には観光客がさほどいなかったので、自由に写真を撮ることが出来ました。案
内板に従って歩いて行くと、次々と現存の建物が目の前に現れ、驚きと感動で思わず写真に
収めることを忘れてしまう程でした。今回は時間の関係で天守だけを写真に収めましたが、
門、櫓も含めて納得が行く写真を撮るには、半日、いや、一日は掛かるかもしれない内容で
す。城に興味のない人でも姫路城へ行けば、その素晴らしさを肌で感じられるはずです。


 

 

五重六階地下一階 現存 西小天守と大天守 【世界遺産・国宝】本丸地盤からの高さ:46m


 

西小天守と大天守〔写真:左〕渡櫓と隅櫓【国重要文化財】〔写真:右〕