三河 上ノ郷城
Kaminogo castle

上ノ郷城跡【愛知県蒲郡市上ノ郷町城山】
赤日子神社【愛知県蒲郡市上ノ郷町森58】
  安楽寺【愛知県蒲郡市清田町門前4】

【立地】丘城
【別称】神ノ郷城・宇土城・鵜殿城・上郷村古城

【市指定史跡】

【歴史】平安時代の築城とされる。1479年鵜殿長善の居城、長将〔〜1516年6月〕
−長持〔〜1557年〕−長照〔〜1562年〕と続く。鎌倉時代、鵜殿氏は熊野三山の荘
園地であった蒲形・竹谷荘の荘官として来住し、鵜殿村〔三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿〕の名
をとって鵜殿氏と称した。鵜殿長善の子長将、その子長持〔正室は今川義元の妹〕は上ノ郷
鵜殿氏、鵜殿長善の子長景は不相鵜殿氏、鵜殿長持の子長忠は柏原鵜殿氏と称される。15
60年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると、松平元康〔徳川家康〕は岡崎へ復帰し、
1561年西三河南部を平定、岩略寺城を落城させて後、東三河の西郡〔蒲郡〕攻略に入っ
た。1562年2月元康は松井左近忠次・久松佐渡守俊勝に命じ、上ノ郷鵜殿氏が拠る上ノ
郷城攻めを開始。松井忠次は伊賀・甲賀の忍者を使って建物に火をつけ、久松俊勝らは城主
鵜殿長持・長照を討ち取った。長照の子鵜殿氏長〔1549〜1624年6月14日〕・氏
次兄弟は捕らえられ、駿府の築山殿・信康・亀姫と捕虜交換に成功した。戦後、上ノ郷城に
久松佐渡守俊勝が入り、その子松平康元〔1552〜1603年8月14日〕に継がれた。
現在はみかん畑、住宅、畑地などに変わり、土塁、堀、曲輪、井戸などが残る。

【所感】国道473号線西600m程に位置し、みかん畑の中に在ります。城跡の北、東を
流れる兼京川は、堀の役目を持つ輪郭になります。この兼京川に隣接して在る赤日子神社の
西側駐車場に車を止め、そこから案内看板に従って、右へ右へみかん畑に入って行きます。
城跡内へ入ると、左手の大土塁上に石碑が立っています。虎口を抜けると、二の曲輪、右手
の土塁沿いを上ると、井戸跡が在る主郭になります。上ノ郷城跡の見どころは、良好な状態
で残る二の曲輪の大土塁、段差の在る曲輪、井戸跡、虎口で実際に訪ねると感動します。



 

上ノ郷城跡入口の標柱〔写真:左〕上ノ郷城跡入口の虎口?〔写真:右〕



上郷城址の石碑




主郭南西側の空堀〔曲輪〕



主郭南側の空堀〔曲輪〕



主郭南側の土塁



東郭



北郭







主郭



城池と呼ばれる東郭東側の堀・湿地



堀の一部とされる熊ヶ池

 

安楽寺〔写真:左〕久松佐渡守俊勝の墓・安楽寺〔写真:右〕