美濃 加納城
Kano castle

   加納城跡【岐阜県岐阜市加納丸之内・加納二之丸・加納西丸町・加納東丸町ほか】
   加納公園【岐阜県岐阜市加納丸之内】
  加納小学校【岐阜県岐阜市加納西丸町1丁目73−1】
岐阜地方気象台【岐阜県岐阜市加納二之丸6】

【立地】平城

【国指定史跡】加納城跡

【歴史】1445年美濃国守護土岐持益の川手城の備えとして、斎藤利長が築いた沓井城に
始まる。その後、長井規秀〔後の斎藤道三〕は斉藤家を奪い、稲葉山〔現在の岐阜城〕に城
を築いて移り、加納城は一時廃城となる。1601年岐阜城を廃し、家康の命で本多忠勝が
加納城を再築城する。家康の娘婿奥平信昌が上野国小幡3万石から移り、10万石で立藩し
た。奥平家断絶後、1632年大久保忠職が5万石、1639年戸田光重が7万石で入る。
光永−光煕を経て、1721年安藤信友が6万5000石で入封し、嫡男信成は5万石で継
いだ。1756年永井直陳が入り、その後、尚備−尚旧−尚佐〔直弼〕−尚典と続き、尚服
で明治を迎える。現在は加納公園、小学校、住宅、グランドなどに変わり、石垣、曲輪、堀
跡などが残る。

【所感】本丸は凸型の形をしており、ほぼ全周石垣が残っています。本丸・加納公園は高い
石垣・土塁で囲まれて安全な為、子供が遊んだり、お年寄りがグランドゴルフをやったり、
住民の憩いの場なっています。臆病門跡の南側が大藪曲輪、本丸北側の住宅地が厩曲輪、加
納小学校が三の丸、岐阜地方気象台が二の丸御殿跡、本丸東側のグランド・テニスコートが
二の丸になります。本丸北端の入口横に往時の縄張り図が有りますので、こちらを見ながら
周辺の城域を歩いて周るといいでしょう。






本丸南東隅櫓台



本丸東端の石垣



本丸南端の臆病門跡



本丸西端の土塁



大藪曲輪・本丸南側



厩曲輪・本丸北側



二の丸御殿跡〔岐阜地方気象台〕−三の丸〔加納小学校〕間の石垣



二の丸御殿跡・岐阜地方気象台



二の丸



本丸東側の堀跡