三河 饗庭城
Aiba castle
饗庭城跡【愛知県西尾市吉良町饗庭字城山】
金蓮寺【愛知県西尾市吉良町饗庭字七度ヶ入1】
正龍寺【愛知県西尾市吉良町小山田字稠65】
花岳寺【愛知県西尾市吉良町岡山字山王山66】
【立地】丘城
【別称】城が峰古城・饗庭古城
【国宝】金蓮寺弥陀堂
【松井松平家】忠直 ― 康親 ― 康重 ― 康映 ― 康官 ― 康員 = 康豊 ― 康福 = 康定 = 康任 ―
康爵 = 康圭 ― 康泰
= 康英 = 康載
【歴史】標高25m、比高20mの尾根端に築かれた城であり、1383年加賀の石川妙鶴丸が後小松
天皇より饗庭郷を賜ったことに始まる。1475年松平宗家3代信光を滅ぼそうと呪詛したことが漏れ
て自殺したと云う。饗庭城は信光のものとなり、波城主であった松井清忠に与えられた。清忠の子惣八
郎は深溝城主の大場越中守の家を嗣いだ為、弟の惣左衛門が跡を継ぎ、岡崎松平氏に属し、松井・寺部
饗庭を領した。1521年忠直の子忠次(松平康親)〔1521〜1583年〕は当地で生まれ、幼少
時より松平宗家と苦難を共にした。1556年東条松平甚太郎義春が日近城の奥平氏攻めで討死した際
、義春後嗣の下命を固辞し、義春の遺児家忠を守り立てて仕えた。1581年家忠が没した時も忠次は
後嗣を固辞し、家康の四男忠吉が後嗣となった。現在は畑地、山林に変わり、遺構は無い。
【所感】県道42号線萩原御用田信号を東へ曲がり、矢崎川、金蓮寺を経て、白山トンネル南の信号を
過ぎて、直ぐ目の前に見える舌状尾根端が城跡になります。写真で見る鉄塔が在る尾根の南です。11
86年源頼朝建立とされる金蓮寺弥陀堂は国宝に指定されており、一見の価値あり!
饗庭城跡遠景
松平氏墓所・正龍寺〔写真:左〕松平康親公墓碑・花岳寺〔写真:右〕
金蓮寺弥陀堂【国宝】〔写真:左〕金蓮寺本堂〔写真:右〕