美濃 明知陣屋
Akechi Jinya
明知陣屋跡【岐阜県恵那市明智町】
大正ロマン館【岐阜県恵那市明智町1304-1】
【立地】山麓
【別称】明智陣屋・明知代官所
【歴史】1615年、遠山方景が6531石で構えた陣屋とされる。その後、長景-伊次-伊清-景眤
-景達-伊氐-景祥-景珍-景高-景福-景久と続くが、1678年以降、遠山氏は江戸定府となった
為、代官の村上氏が陣屋を管理したと云う。分家に江戸の北町・南町奉行を務めた遠山金四郎景元〔遠
山の金さん〕がいる。現在は住宅、畑地となり、堀、池などが残る。
【所感】明知城跡北西麓の集落と空地で、稲荷社南側の段とその西下の2段が陣屋の敷地になります。
西端は2つの水堀〔池〕・模擬冠木門が在る場所で、池端に明知陣屋跡の看板と絵図が在るので、絵図
でエリアを確認すると良いでしょう。
明知陣屋跡
大手門左手の水堀〔写真:左〕大手門右手の水堀〔写真:右〕
明知陣屋跡の看板・大手門右手〔写真:左〕御池〔写真:右〕