播磨 赤穂城
Ako castle
赤穂城跡【兵庫県赤穂市上仮屋2】
大石神社【兵庫県赤穂市上仮屋129】
【立地】平城〔水城〕
【別称】仮里屋城・仮屋城・加里屋城
【国指定史跡】赤穂城跡
【国名勝】旧赤穂城庭園
【歴史】1600年池田輝政の家臣垂水勝重が築いた城である。1615年池田輝政の五男
政綱が、池田利隆より赤穂郡内3万5000石を分与され、赤穂藩を立藩して修築した。1
631年政綱が亡くなり、嫡子が無かった為、池田輝政の六男輝興が3万5000石で入封
した。1645年輝興は突如乱心して、妻子、侍女を斬り付け、所領を没収されて備前国岡
山藩主池田光政にお預けの身となった。代わって、常陸国笠間から5万3500石で浅野長
直が入った。1648年幕府の許可を得、2人の軍学者理論を取り入れて築城を始め、16
61年に完成した。1670年次男の浅野長友が家督を継いで入るが、1676年に亡くな
り、家督は9歳の嫡男長矩が継いだ。1701年長矩が松の廊下で吉良上野介義央を斬りつ
け、浅野家は断絶となった。家老の大石蔵内助良雄はお家存続を幕府に嘆願したが、聞き入
れらず、1702年12月19日吉良邸へ討ち入り、義央の首級を挙げて本懐を遂げた。同
年下野国烏山より3万3000石で永井直敬が入り、1706年信濃国飯山へ移り、代わっ
て森長直が2万石で入る。その後、長孝−長生−政房−忠洪−忠興−忠賛−忠哲−忠敬−忠
徳−忠典と続き、忠儀で明治を迎える。1955年三之丸隅櫓、追手門、1994年本丸表
門が復元され、曲輪、水堀、土塁などが残る。
【所感】17年前は播州赤穂駅から歩いて行きましたが、当時は城の知識も浅く、短時間で
一部を撮って終わりました。今回は車で赤穂に宿泊。立ち入り禁止エリア〔二之丸庭園〕を
除く全てを4時間掛けて撮り歩きました。赤穂城は海に面した海城、本丸・二之丸・三之丸
それぞれを石垣と水堀が囲い、要所に櫓・横矢枡形、本丸は五稜郭を思わせる多角形の形を
しています。石垣好きは行くべき城跡です。
天守台・本丸
天守台から見た本丸御殿跡
くつろぎ池泉・本丸
復元 本丸一之門〔櫓門〕
本丸櫓門の内部
復元 本丸二之門〔高麗門〕
復元 厩口門・本丸
本丸東北隅櫓台
本丸東横矢枡形
本丸南東の隅角部
本丸刎橋門跡
本丸南横矢枡形
本丸西北横矢枡形
二之丸東北隅櫓台
二之丸東櫓台
二之丸潮見櫓台
石垣で大きく窪ませた水撚・二之丸
二之丸水手門跡
二之丸南沖櫓台
二之丸北櫓台
復元 二之丸西仕切門と仕切塀
復元 大石頼母助屋敷門・二之丸
復元 二之丸庭園表門
二之丸庭園〔上流部〕
三之丸西南隅櫓台
三之丸西南辺りの低石垣
三之丸樋門
三之丸西隅櫓台
三之丸塩屋門跡
三之丸西北の横矢屏風折
三之丸北横矢枡形
復元 三之丸大手隅櫓
復元 三之丸大手門と大手隅櫓
復元 三之丸大手門・枡形虎口
三之丸大手門番所跡・休憩所
近藤源八宅跡長屋門・三之丸
大石良雄宅跡長屋門・三之丸
三之丸東隅櫓台
三之丸清水門跡