遠江 天方本城
Amagatahon castle
天方本城跡【静岡県周智郡森町大鳥居・問詰】
大鳥居八幡宮【静岡県周智郡森町大鳥居596】
旧天方幼稚園【静岡県周智郡森町大鳥居73】
旧天方小学校【静岡県周智郡森町大鳥居220−2】
【立地】山城
【別称】天方古城
【歴史】蛇行する吉川と三倉川に挟まれた本庄山・本城山〔標高161m、比高100m〕
に築かれた山城である。これまで『天方城』は「森町向天方@」の城を指していたが、近年
、「森町大鳥居・問詰A」と「森町城下B」で城が確認され、@天方新城、A天方本城、B
白山城と命名された。地元では「本庄山」と伝えて城跡という認識が無かったが、近年「城
の腰」を描いた「遠州天方古城絵図」が確認され、城郭形式と地域環境から3城で最初の城
と推定された。応永年間(1394〜1427年)に山内対馬守道美によって天方本城が築
かれ、1510年本間宗季軍忠状写にある天方城が天方本城の初見である。この当時、今川
氏親は度々遠江へ侵攻、1501年遠江国守護斯波義寛は信濃の小笠原氏に援軍を要請した
。要請に応えた小笠原貞朝は二俣に在陣、援軍を得た斯波軍は今川方の久野城・馬伏塚城な
どを次々と攻撃した。この戦いで天方城は落城するが、今川勢は奪回に動き、本間宗季は福
嶋助春に属して功をあげている。1569年5月今川氏真が籠る掛川城を徳川軍が包囲。氏
真が開城して伊豆へ移ると、徳川軍は6月に当城を攻撃し、城主の天方通興は徳川軍に従う
。1574年4月の「犬居城攻め」で徳川軍が陣城として使っている。現在は茶畑、山林と
なり、曲輪、堀切、横堀が残る。
【所感】旧天方幼稚園の入口に「天方本城址案内板」が在り、登城口は大鳥居八幡宮(この
神社からも行けます)へ上がる石段の左横の坂道になります。180m程進んだ大鳥居八幡
宮から来た道との合流点に「天方本城址470m」の看板が有るので、看板に従って上の茶
畑へ上がって行きます。茶畑〔馬場平の下段〕の手前右手に堀切が有り、高圧鉄塔が見える
最上段の茶畑〔馬場平の上段〕まで歩き、舗装路が終わる突き当りを左へ行った「天方本城
址100m」の看板の場所が山へ入る登城口になります。登城口を入ったら直ぐに右に折れ
、高圧鉄塔方面に歩きます。陽の当たる場所に出て道が無くなったら〔最後の切株〕、左に
折れて斜面を登ります。右手の竪堀を確認してから、シダが生える最高地点を目指します。
到達した場所が円墳のような櫓台で、櫓台を下りた次の最高地点が本曲輪です。平坦度は低
く、土塁もありません。本曲輪から北尾根と東尾根が延びていますが、北尾根には堀切A・
堀切B、本曲輪に戻って反対の東尾根〔城ノ腰〕へ下りると、尾根道の北側に横堀、奥へ進
むと、北側に幾つかの曲輪が見られます。@天方新城のように曲輪を囲む長い横堀や土塁も
なく、B白山城のような多くの堀切もなく、やはりA天方本城の造りに古さを感じます。

天方本城址案内板

大鳥居八幡宮の石段


登城道・舗装路

堀切

馬場平下段



馬場平上段と登城道・舗装路

山林登城道入口



山林登城道の横移動

山林登城道登り口


山林登城道


山頂の櫓台

山頂の本曲輪

西尾根一条目の堀切A

西尾根二条目の堀切B

城ノ腰〔東尾根〕の横堀

城ノ腰〔東尾根〕北側の横堀

城ノ腰〔東尾根〕

城ノ腰〔東尾根〕北側の横堀と腰曲輪か

城ノ腰〔東尾根〕先端
