美濃 安国寺恵瓊陣所
Ankokuji ekei camp

安国寺恵瓊陣跡【岐阜県不破郡垂井町宮代】
   南宮大社【岐阜県不破郡垂井町宮代1734−1】

【立地】平山城

【歴史】安国寺恵瓊は、安芸国守護で銀山城主武田信重の遺児と云われ、1541年毛利氏
の攻撃で武田氏滅亡後、安芸安国寺で出家した。毛利氏の外交僧として活躍していたが、1
582年「本能寺の変」の後、秀吉の直臣として働くようになり、1585年「四国攻め」
の後、伊予国内6万石を与えられた。1600年「関ヶ原の戦い」では石田三成らと共謀し
、毛利輝元を西軍の総大将に引き込むことに成功している。9月15日決戦の日、南宮山の
麓に布陣したが、東軍と内通した吉川広家に阻まれて動くことが出来ず、敗戦後に逃亡。9
月23日京都六条辺りに潜んでいるところを捕縛され、10月1日石田三成・小西行長と共
に六条河原で斬首された。現在は山林となり、曲輪、堀切が残る。


【所感】関ヶ原古戦場の史跡として一般的に撮られているものは、南宮山ハイキング登りコ
ース沿い・東蛇溜池と西蛇溜池の間に立つ「安国寺恵瓊陣跡」の看板になりますが、東蛇溜
池の東側に遺構が残る場所が有ります。南宮山ハイキングコース入口のフェンスを自身で開
閉するように東蛇溜池のフェンスを自身で開閉して堤を渡ります。右へ右へ登って行くと、
山林の小高い場所〔標高112m、比高70m〕に安国寺恵瓊の陣旗が立っており、ここが
曲輪〔単郭〕になります。曲輪の北側(曲輪へ向かう道の途中)、土橋のような道の両脇に
堀切、曲輪の南側(曲輪を過ぎた先)にも浅い竪堀〔堀切〕があります。国土地理院の地図
を見ると、更に登って行くと、南宮山ハイキング登りコースと合流する線が書かれています
が、確かめていないのでよく分かりません。


 

東照宮〔写真:左〕瓦塚〔写真:右〕

 

南宮稲荷神社の百連鳥居〔写真:左〕南宮山ハイキングコース〔写真:右〕



安国寺恵瓊陣跡の看板と陣旗・南宮山ハイキング登りコース脇



安国寺恵瓊陣跡へ向かう道





曲輪北側の堀切



安国寺恵瓊陣跡の陣旗・曲輪の北エリア



曲輪の南エリア



曲輪の西エリア



曲輪南側の浅い竪堀