遠江 浅羽館
Asaba yakata

     浅羽館跡【静岡県袋井市浅羽】
 浅羽自治会公会堂【静岡県袋井市浅羽1645−1】
ローソン袋井浅羽店【静岡県袋井市浅羽1625】
    中島美容室【静岡県袋井市浅羽1729−1】
      円明寺【静岡県袋井市浅羽1649−1】

【立地】平地
【別称】浅羽荘司館・浅羽庄司館

【歴史】鎌倉時代、浅羽氏は当地の荘官を勤めた鎌倉幕府草創期の御家人の一人である。遠
江守護の安田義定と対立し、源頼朝に訴えられ、一時所領は没収されたが、源平合戦の働き
で本領を返還され、御家人として認められた。1185年奥州藤原氏討伐軍に浅羽五郎行長
の名がある。1195年源頼朝・政子夫婦が南部東大寺大仏供養のために上洛した際、浅羽
庄司三郎が後陣を務めた。室町時代(1333〜1573年)、大政官外記の中原師茂が荘
園領主となる。浅羽荘を領した中原氏は代官として柴重西を置いて支配していた。「柴」の
姓から、浅羽荘柴村に本拠を持つ有力者で、浅羽氏の系譜を引くものと考えられる。慶長年
間(1596〜1615年)以降、浅羽荘司の子孫は伊藤善蔵を称して帰農したと伝わる。
現在は住宅となり、遺構は消滅している。

【所感】平成12年試堀調査報告書によると、鎌倉期の浅羽館は、浅羽荘司館跡碑の西側の
区画北半分〔50m四方〕になります。南北朝期に登場する柴氏の居館は、浅羽館跡を北東
に置いて、ローソン袋井浅羽店を北西点とする100m四方となります。浅羽自治会公会堂
の西端から浅羽中央公園の西端に掛けて土塁の痕跡、円明寺本堂の東側にも鎌倉期の堀跡が
出土しています。浅羽荘司館跡碑は遊歩道になっている旧駿遠線の芝駅跡・柴停車場碑の斜
め前に立ち、車は浅羽自治会公会堂の駐車場〔円明寺の南〕が使えます。





浅羽荘司館跡の石碑と看板