駿河 朝比奈城
Asahina castle

    朝比奈城跡【静岡県藤枝市岡部町殿】
      萬年寺【静岡県藤枝市岡部町新舟】
      善能寺【静岡県藤枝市岡部町新舟271】
道の駅『玉露の里』【静岡県藤枝市岡部町新舟1214】
 朝比奈第一小学校【静岡県藤枝市岡部町新舟1021】

【立地】山城
【別称】殿山城

【市指定史跡】

【歴史】標高170m、比高120mの山上に築かれた山城である。当地は古くから朝比奈
村、殿村と呼ばれ、住民が朝比奈氏を尊称して殿の名が起きたものである。朝比奈氏は藤原
氏の子孫で平安時代〔794〜1185年〕末期に朝比奈郷に土着し、姓を朝比奈と改めた
。鎌倉時代〔1185〜1333年〕に幕府の御家人となり、1284年朝比奈山地頭職に
任ぜられる。戦国時代には今川家歴代の重臣として仕え、今川氏滅亡後は武田信玄に従い、
駿河先方衆として騎馬150騎の侍大将となり、朝比奈駿河守氏秀は用宗城を与えられた。
1582年武田家滅亡の際、城主の信置は庵原城で織田信長に攻められて、子の信良と共に
自害した。一族の朝比奈泰熙−泰能−泰朝は掛川城主となる。現在は山林となり、曲輪、堀
切が残る。

【所感】善能寺からも登れるようですが、私は道の駅に車を止め、萬年寺から朝比奈城跡の
標柱に従って登りました。登り切った広い平坦地〔松山遺構〕に朝比奈城跡の看板が立ち、
この場所が城跡だと思って帰る人もいるかもしれませんが、続きがあります。平坦地から善
能寺の標柱に従って山道を進むと、先ず右手にシダが生い茂る堀切〔平坦地北側〕、山道を
緩やかに下って上がった右側に標柱の無い脇道が有り、杉林からシダ群の道を下って行くと
、尾根が見えて来ます。ここが殿山遺構で、細い尾根に間隔を置いて3条の堀切が並び、そ
の先にシダが生える曲輪2、一段下がって曲輪1と先端に3段小曲輪が在ります。曲輪1の
西端にも小堀切の一部が残り、先端の曲輪は曲輪1の両脇に腰曲輪のように回り込んでいま
す。殿山遺構まで道のりは長いですが、撮り甲斐がある遺構です。





















登城口までの道
















登城道





城跡看板が立つ松山遺構の曲輪





松山遺構→殿山遺構への道





松山遺構の堀切













殿山遺構への道



1本目の堀切・殿山遺構



2本目の堀切・殿山遺構



3本目の堀切・殿山遺構





曲輪2・殿山遺構



曲輪1西端の小堀切・殿山遺構



曲輪2と北側の腰曲輪・殿山遺構



曲輪2と南側の腰曲輪・殿山遺構



最東端の曲輪・殿山遺構