播磨 浅野陣屋
Asano Jinya
浅野陣屋跡【兵庫県相生市若狭野町788】
稲荷神社【兵庫県相生市若狭野町若狭野790】
西法寺【兵庫県赤穂市那波野3丁目10−5】
【立地】平地
【別称】若狭野陣屋
【歴史】1645年常陸国笠間藩主浅野長直が5万3500石で入封し、1648〜166
1年旧城の南に赤穂城を築いた。1671年長男長友が家督を継ぎ、義兄〔松平清昌の子〕
長賢に加東郡家原3500石、義弟〔大石良重の子〕長恒に赤穂郡若狭野の新懇田3000
石を分与され、若狭野の陣屋を構えた。邸宅は広壮なもので、本邸は6室、内庭が有り、表
門、庭入口門、外3門、倉庫2、馬屋1、馬丁担所1、下部屋1、武器庫1、器具庫1、外
庭園1、隠居所1が有り、屋敷の西北に稲荷神社を祀っていた。15歳で領主になり、江戸
新宿に住んだ。1701年3月浅野内匠頭長矩の松之廊下刀傷の件で出仕を止められ、直ぐ
に許されるが、1702年大石内蔵助良雄の赤穂事件で出仕を止められ、1703年に許さ
れ、1711年5月堺奉行となった。その後、代々江戸に住み、長豊−長寿−長致−長盈−
長和と続き、長発で明治を迎え、朝廷に奉勤し、江戸を去って若狭野に帰った。現在は廃屋
となり、表門の部材を使った山門が西法寺に残る。
【所感】国道2号線、矢野川の北に位置し、周辺の道は細く、昔から残る区割りのように感
じました。現在、建物は崩落の危険がある為、立ち入り禁止となっています。
浅野陣屋跡(法界庵)
法界庵(若狭野陣屋札座)の石垣