三河 円山城
Maruyama castle

 円山城跡【愛知県豊田市御蔵町引地・廣石・床浪】
御蔵小学校【愛知県豊田市御蔵町辻43】

【立地】平山城
【別称】阿摺城・足利村古屋敷

【歴史】阿摺川+久木川合流点の東に位置する標高180m、比高60mの尾根端に築かれ
た城である。城主は室町幕府6代将軍足利義教に仕えた鈴木和泉守高国とされ、2代円山蔵
之輔義清−3代子鈴木筑後守高教と云う。高清は、1511年「山城国船岡山の戦い」の戦
功により、足助荘阿摺郷内に領地を賜ったと伝えられる。また、一説には足利家の家臣鈴木
筑後守高教が軍功によって阿摺郷を賜り、父鈴木和泉守高国と共に来住して築いたとも云わ
れている。一時期、4代は深谷三郎金丸と名乗り、1572年「三方ヶ原の戦い」で織田信
長に従軍、戦功により信長の紋を拝領したと云う。その後、鈴木甚五左衛門金正に改名する
が、1575年「長篠の戦い」で織田・徳川軍に属して従軍、討死したと伝わる。金正は出
陣に際して自身で城を焼き、生きて帰らないことを決意して出陣したと云う。円山城は『三
河国二葉松』の「足利村古屋敷」と考えられるが、「鈴木忠兵衛、原田弥五郎、1574年
武田によって落城」とある。現在は曲輪、堀切が残る。「足助七城の一」


【所感】御蔵小学校前の県道357号線から阿摺川越しに見える南の山が城跡です。城跡ま
では直登になりますが、等高線図で見た時、傾斜が一番緩やかな城跡の西側から登ります。
最初に辿り着く遺構は「西の丸腰曲輪」の手前に在る横に長い腰曲輪。この時は間伐材置き
場になっていて、写真でその長さを捉えることは出来ませんでした。少し上がると「西の丸
腰曲輪」、そこから「西の丸」⇔「堀切」⇔「本丸」⇔「堀切」⇔「東の丸」⇔「横堀」の
順に並ぶ連郭式城郭となっています。「本丸」の北側・南側にも腰曲輪が横たわり、何れの
遺構も状態が良く、撮り甲斐があります。直登で驚いたのは、各曲輪に「本丸」とか「西の
堀切」などの標柱があること。標柱は整備された城跡のみのイメージでしたが、直登を頑張
った人のご褒美として、案内してくれているように感じます。




円山城跡遠景









直登道



西端の腰曲輪



西の丸西側の腰曲輪



西の丸



本丸−西の丸間の堀切





本丸北側の腰曲輪





本丸南側の腰曲輪



本丸



東の丸−本丸間の堀切



東の丸



東の丸東側の横堀 or 堀切