三河 武節城
Busetsu castle
武節城跡【愛知県豊田市武節町シロ山】
姫井戸【愛知県豊田市武節町車田】
どんぐりの湯【愛知県豊田市武節町針原22−1】
さぬき亭【愛知県豊田市武節町ネノウエ56−1】
豊田市稲武福祉センター【愛知県豊田市桑原町中村5】
【立地】平山城
【別称】地伏城・武節村古城
【市指定史跡】
【歴史】永正年間(1504〜1521年)、標高545m、比高40mの丘陵上に田峯城
の支城として菅沼定信が築き、菅沼十郎などの城代を務めた。1556年「武節谷の戦い」
下条信氏の攻撃で落城。1571年武田信玄が三河侵攻を始め、2万5000の兵を率いて
飯田から南下し、杣路峠を越えて城下に迫り、武節城は戦わずして軍門に下った。1573
年松平信康の初陣で武節城を攻める。1575年「長篠の戦い」で敗れた武田勝頼は田峯城
主菅沼定忠に伴われて敗走し、田峯城に入ろうとしたが、田峯城の守将菅沼定直、家老今泉
孫右衛門道善らの謀反で帰城出来ず、やむなく段戸山を越えて武節城に辿り着き、一泊して
信州に逃れたと云う。間もなく徳川軍酒井忠次が奪還し、新城の奥平信昌領となった。15
90年家康関東転封に伴い廃城となる。現在は山林、神社、畑地、墓地、住宅などに変わり
、曲輪、空堀、櫓台などが残る。
【所感】国道153号線伊勢神トンネル出口から飯田方面へ9キロ程走ると、左手に「道の
駅どんぐりの里いなぶ」、正面に城山トンネルが在り、このトンネル上が武節城跡になりま
す。「武田勝頼ゆかりの武節城址」と大きな看板が掲げてあります。トンネル手前左手「さ
ぬき亭」前の道を入り、160m程進んだ右手に登城口、車で本丸まで行くことが出来ます
。最高地は櫓台・のろし台とされる城山神社〔八幡神社〕、そこから北西方向に本丸・二の
丸・三の丸と段地になっています。櫓台の南側に蔵屋敷跡、更に南にこの城の見所となる大
堀切が在ります。城山全体が大小多くの曲輪から成り立っており、多くの兵を有する場合で
も駐屯させることは十分可能であることが分かります。登城口から西方200m程、豊田市
稲武福祉センターの北側に姫井戸が在ります。この井戸は1556年、下条信氏の攻撃で武
節城落城の際、敵の手にかかることを拒んだ姫が身を投げた井戸という伝承が有ります。


櫓台・のろし台・城山神社

武節城址の石碑・本丸



本丸


二の丸

二の丸から見た堀切跡


二の丸から見た三の丸・立入禁止

蔵屋敷跡

本丸東側の曲輪Dと曲輪E


蔵屋敷跡南側の空堀

外曲輪

鐘撞堂跡・墓地

登城途中の広い曲輪A・広場


二の丸北側の曲輪Bと曲輪C

姫井戸
