三河 茶臼山陣所
Chausuyama camp

茶臼山陣所跡【愛知県新城市牛倉字城山・富永字上野】
   禅海寺【愛知県新城市富永字上野44】

【立地】丘地
【別称】茶臼山城

【歴史】1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」の際、織田信長が布陣した陣所とされる。信
長は5月14日夜に岡崎城に到陣し、15日鳥居強右衛門勝商の後詰の要請を承諾、16日
家康と共に岡崎を発った。牛久保城に泊まり、17日野田で野宿をとり、18日上平井の極
楽寺に本陣を置いた。3日間に亘って連吾川沿いに馬防柵を造り、20日信長は極楽寺本陣
に諸将を集め、軍議を開いた。軍議後、酒井忠次らに鳶ヶ巣山砦の奇襲を命じ、武田軍が連
吾川対岸に布陣したことを知った信長は、茶臼山へ本陣を移し、諸事を指揮した。この時、
木下秀吉が茶臼山陣所北方に布陣し、弾正山南端に徳川家康が布陣したと云う。茶臼山陣所
は3つの頂〔北頂:標高152m・中頂:標高152m・南頂:標高135m〕から成り、
南北に長い丘陵上に在るが、近年の畑地化、植林、公園化で改変され、平坦地が在る。


【所感】国道151号線富永新知信号から北の県道438号線を800m程進んだ信号T字
路を左折します。300m程進んだ左手に川上公会堂が在る辻を北へ曲がります。右手の禅
海寺、鈴木金七の紹介看板を過ぎると、右手にUターンするように茶臼山公園へ向かう道が
在り、茶臼山南頂まで車で行くことが出来ます。南頂は織田信長が陣所とする以前に茶臼山
城が在ったとされる場所で、ここから中頂の「織田信長戦地本陣跡」まで歩いて行きます。
駐車場横の山道を歩き、左手山住神社辺りから右に上る道が在り、稲荷神社が在る本陣跡に
着きます。右側から社殿裏手へ回ると、下る道が在り、左へクランクすると、再度、山道へ
戻ります。更に奥へ尾根伝いに歩いて行くと、徐々に右手が高い平坦地となり、最も高い場
所が北頂になります。高くなる前に杉林へ入り、最高所へ向かった方が良いかと思います。
最高所は広い杉林の平坦地で、南端に肥壺らしき瓶と井戸らしき穴が在ります。帰りはひた
すら尾根伝いを歩き、右手の山住神社を過ぎると駐車場横の道に戻ります。鈴木金七につい
てですが、金七は旧川上村、現在の富永字上野に生まれました。1575年5月18日深夜
に長篠城主奥平信昌の命で城を脱出、19日家康に「城兵は意気軒昴たり、決戦を急ぎ給う
な」と城主の伝言を報告し、連合軍の勝機につながったと云われています。合戦後、一旦は
川上村に戻り、後に作手田代へ隠居して帰農し、嘗ての労に対して作手亀山城主松平忠明よ
り200石を賜ったそうです。


 

茶臼山陣所跡遠景〔写真:左〕茶臼山公園〔写真:右〕

  

茶臼山公園のいろはかるた〔写真:左〕織田信長戦地本陣の石碑〔写真:中央〕織田右府の歌碑〔写真:右〕

 

織田信長戦地本陣跡の看板と茶臼山稲荷社〔写真:左〕山住神社〔写真:右〕

 

北頂の平坦地〔写真:左〕井戸跡か〔写真:右〕

 

羽柴秀吉陣地の石碑・牛倉字宗国〔写真:左〕鈴木金七の紹介看板・茶臼山南麓〔写真:右〕