伊勢 千種城
Chigusa castle
千種城跡【三重県三重郡菰野町千種】
城山苑【三重県三重郡菰野町千種888】
禅林寺城跡・禅林寺【三重県三重郡菰野町下村191】
【立地】丘城
【別称】千草城
【県指定史跡】
【歴史】標高120m、比高20mの丘に築かれた城である。1333年後醍醐天皇の挙兵
に際して戦功があった千種忠顕は、1334年三重郡二十四郷を賜り、目代として伊藤吉治
を置いた。忠顕の子千種顕経は伊勢国北畠顕泰の命で三重郡に数城を築き、自らは禅林寺城
〔菰野町〕を拠点に諸城を統轄した。後に顕経は千種城を築いて移ったとされるが、築城年
、築城者については諸説ある。戦国時代、千種氏は北伊勢四十八家の棟梁として1000の
兵を有したと云われる。1555年近江佐々木氏の一族六角義賢が小倉三河守を総大将に北
伊勢を攻めた際、和睦として六角家の執権後藤但馬守の弟を養子に迎え、六角氏に属した。
1567〜1568年信長による滝川一益の伊勢侵攻後、織田信長に属し、1590年豊臣
秀吉に仕え、1615年「大坂の陣」で千種顕重の子顕理が討死、千種家は滅んだ。現在は
城山公園と称され、土塁、空堀、堀切が残る。
【所感】鈴鹿山脈から東へ伸びる丘陵の1つで、その先端部に位置します。城山苑の東に主
郭−小郭の順に並んでいますが、往時はその東に在る独立丘陵地〔個人宅〕も繋がって3つ
の郭が並んでいたのかもしれません。グーグルマップに「千種城址」と「千種城跡案内板」が載
っています。「千早城跡案内板」前の道を北へ下った千早用水・県道762号線手前の左手
に「城山公園P駐車場」がありますので、こちらに駐車することをお薦めします。千種城跡
の看板・千早城跡碑横の石段を上った場所が「小郭」、その奥に城址碑が立つ「主郭」が広
がっています(トイレ有り)。主郭の西端と南端に土塁が横たわり、東端にも土塁、その内
側に横堀があります。なぜ土塁の内側に横堀があるのか?小郭のためのものなのか?その辺
りのことはよく分かりません。私のお薦めは主郭西側〔城山苑側〕の大堀切です。

史跡千種城跡の看板と城跡碑

主郭東隣りの小郭


主郭東端の土塁



主郭東端の空堀

主郭

千種城址碑・主郭


主郭南端の土塁



主郭西端の土塁・城址碑背後


主郭西側の大堀切


千種城の一部とされる独立丘陵地・個人宅

城山公園駐車場・千種用水横
