三河 知立城
Chiryu castle
知立城跡【愛知県知立市西町西】
知立神社【愛知県知立市西町神田12】
了運寺【愛知県知立市西町西84−1】
【立地】平城
【別称】知立古城
【市指定史跡】
【歴史】平安時代〜戦国時代、知立神社の神主永見氏が居た館とされる。貞連を始祖とする永見氏は神
領24郷を有した西三河の豪族で、知立城主も兼ねていた。1156年・1159年「保元・平治の乱
」では、13代神主貞春は朝廷方で出陣。その後、貞通−貞盛−貞範−顕範−貞則−義高=貞俊−貞時
−家貞−清之−貞守−守清−貞好−守重と続き、貞英の弟永見貞近は松平宗家7代清康に仕え、153
5年守山へ出陣し、1540年「安祥城攻め」の際、織田信秀の攻撃で討死している。1560年「桶
狭間の戦い」の際、信長の攻撃で知立城は落城となった。貞英の妹は水野信元の弟信近へ嫁ぎ、貞英は
水野忠政の娘を娶り、お万の方を生んだ。お万の方は家康の正室築山御前に仕えたが、1573年家康
の側室となり、1574年結城秀康を生んでいる。天正年間(1573〜1592年)、刈谷城主水野
忠重によって御殿が建てられ、1630年頃、将軍上洛用として増築されたが、1699年大地震で倒
壊して後は再建はされなかった。現在は西町児童公園となり、遺構は無い。
【所感】国道155号線、国道419号線が交差する西町信号を南東方向の419号線を進みます。次
の刈谷道信号を左折すると、突き当たりに了運寺が在りますが、その手前左手に西町児童公園が在りま
す。公園の入口に知立古城址の画、歴史看板が在り、その背後に城址碑、御殿址碑が在ります。江戸時
代、東海道の宿場町として栄えた池鯉鮒ですが、公園を出て右へ歩くと、池鯉鮒宿の石碑が在ります。
知立古城址の石碑と看板
御殿址の石碑〔写真:左〕知立神社の多宝塔【国重要文化財】〔写真:右〕
知立神社