三河 大樹寺
Daijuji temple

     大樹寺【愛知県岡崎市鴨田町広元5−1】
  大樹寺小学校【愛知県岡崎市鴨田町広元31】
岡崎城・岡崎公園【愛知県岡崎市康生町561】

【立地】平地

【国重要文化財】大樹寺多宝塔
【県指定史跡】
【市指定史跡】

【歴史】1475年、安祥城主で松平宗家4代親忠が創建した寺である。1508年今川軍伊勢宗瑞〔
北条早雲〕の侵攻「井田野の戦い」の際、松平宗家5代長忠軍の本陣となる。1535年家康の祖父松
平宗家7代清康が七堂伽藍、多宝塔を造営。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれた時、松
平元康〔徳川家康〕は大高城から大樹寺へ帰り、先祖の墓前で自害しようとした。それを住職が止め、
「厭離穢土欣求浄土」の教えを説き、浄土念仏の尊さを教えた。それ以来、熱心な念仏者となった家康
は「厭離穢土欣求浄土」を生涯の座右の銘にしたと云う。その後、今川方の岡崎城代三浦上野介が城を
捨て、譜代衆らの呼びかけに応じて岡崎城へ入った。1615年家康が松平八代墓を設け、1641年
徳川3代将軍家光が大方丈、山門、総門、鐘楼を建立。1855年本堂より出火し、堂舎の大半が焼失
したが、1857年徳川13代将軍家定によって本堂、大方丈が再建された。1969年父広忠の横に
家康の墓が置かれる。岡崎の人なら誰もが知る名所である。

【所感】国道248号線大樹寺3丁目信号を東へ入ると、目の前に大樹寺が見えます。岡崎城の北3キ
ロ程で大樹寺小学校北隣りに位置します。巨大な山門・国重要文化財の多宝塔・松平八代墓など見所が
いっぱい。観光バスや地元の児童も遠足に来ます。大樹寺城なる城も在ったようですが、戦で本陣とし
て使われているので、大樹寺が城なのかも知れません。




大樹寺多宝塔【国重要文化財】



大樹寺山門



松平宗家の菩提寺「大樹寺」本堂


 

徳川家康公の墓・大樹寺〔写真:左〕大和郡山藩主柳沢保申公の墓・大樹寺〔写真:右〕





松平八代墓