三河 田峯屋敷
Damine residence
田峯屋敷跡【愛知県北設楽郡設楽町田峯字鐘鋳場】
【立地】丘地
【別称】田峯村屋敷
【歴史】伝承地であり、確証は無い。標高380m、比高40mの丘陵に築かれ、今泉孫右
衛門道善の屋敷とされる。1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」に敗れて逃げ帰った田峯城
主菅沼定忠は、田峯城の守将菅沼定直、家老今泉道善らの謀反で帰城出来ず、1576年菅
沼定忠が今泉道善ほか96名を斬殺した「道善畑」がその地である。現在は茶畑となり、遺
構は無い。
【所感】田峯城跡西隣りに在る丘で、田峯城の駐車場を出て坂を下り、左折して暫く進むと
、左手に「道善畑」の看板が在ります。ここを左折した終点の茶畑が屋敷跡で、右手に「今
泉道善処刑の地」と書かれた標柱と墓、その横に「道善処刑の地」の説明が書かれた石碑が
在ります。茶畑を東へ歩いていくと、正面に田峯城跡全体が見えます。
今泉道善処刑地の碑・墓所〔写真:左〕道善畑から見た田峯城跡〔写真:右〕