越前 大野城
Ono castle

亀山公園・越前大野城【福井県大野市城町3−109】
    有終西小学校【福井県大野市城町9−1】
  武家屋敷旧内山家【福井県大野市城町10−7】
     平成大野屋【福井県大野市明倫町3−28】
輝センター総合案内所【福井県大野市明倫町3】

【立地】平山城
【別称】亀山城
【天守の構成・形式】連結式望楼型天守

【県指定史跡】

【歴史】朝倉氏滅亡の後、1575年信長の越前固めを目的に金森長近が越前国大野郡内3
万3000石を得て、亀山〔標高249m〕に築いた城である。その他、丸岡城に柴田勝豊
、北の庄城に柴田勝家、府中城に前田利家、小丸城に佐々成政、龍門寺城に不破光治が信長
の命により配された。長近の代で城郭、城下町を築いたが、1586年飛騨国高山へ移り、
青木秀以、長谷川秀一、織田秀雄らが相次いで入封。1600年「関ヶ原の戦い」の際、秀
雄が西軍に与した為、除封となった。その後、福井藩主結城秀康の重臣土屋正明−忠次、小
栗美作が在番を勤めた。1624年結城秀康の子松平直政が5万石で入り、1636年直政
の弟直基、1644年松平直良−直明、1682年土井利勝の四男利房が4万石で入り、利
知−利寛−利貞−利義−利器−利忠と続き、利恒で明治を迎える。1775年大野城下の大
火で城も全焼し、その後、本丸に建物は再建されなかったが、1968年天守と天狗櫓が築
かれた。現在、城跡は亀山公園と称され、曲輪、石垣が残る。

【所感】登城口は亀山公園〔越前大野城〕の北・南・西口、駐車場は西・南の登城口前に在
ります。私は西口から登り、南口に下りました。西口から登ると、初めに土井利忠公の像が
在る平坦地、次に遊具が在る平坦地、その上に本丸が在ります。往時、天守台には3つ〔天
狗櫓・小天守・大天守〕の建物が在りましたが、現在は天狗櫓〔小天守とも〕と天守が建っ
ています。他にも天守の北側に塩硝蔵跡、東側に金森長近公像、天狗櫓の南側にお福池・武
具蔵跡などが在ります。東麓の有終西小学校〔学びの里めいりん〕のグランドが二の丸とさ
れ、その東側が百阮xです。東隣りに大きな駐車場・お土産・飲食出来る場所もあって観光
地化されています。















復興 天守




復興 天狗櫓



天守から見た天狗櫓



天守から見た本丸



武者登り

 

土井利忠公像〔写真:左〕金森長近公像〔写真:右〕



天守北側の塩硝蔵跡



天守南側の武具蔵跡



麻木櫓跡



お福池



本丸南端の門



百闕



復元 搦手門



二の丸・有終西小学校グランド〔学びの里めいりん〕



土井利忠公を御祭神とする柳廼社



外堀の役目をしていた新堀川



新堀川沿いの湧水「新堀清水」



堀の一部というお馬屋池



百阮x