武蔵 江戸城
Edo castle
江戸城跡【東京都千代田区・中央区】
【立地】平城
【別称】千代田城・東京城
【国特別史跡】江戸城跡
【国指定史跡】江戸城堀跡
【国重要文化財】旧江戸城田安門、清水門、外桜田門
【歴史】12世紀初期、武蔵国江戸郷丘陵に江戸重継が居館を構えたことに始まる。145
7年扇谷上杉氏の家宰太田道灌が江戸城を築く。1524年扇谷上杉氏は「武蔵高輪の戦い
」で北条氏綱〔早雲の子〕攻められ、小田原北条氏の城となる。1590年秀吉の「小田原
城攻め」で北条氏が倒れ、家康は関八州を得て、江戸城へ入る。1603年家康は征夷大将
軍・源氏長者となり、江戸幕府を開府。徳川将軍家は家康−秀忠−家光−家綱−綱吉−家宣
−家継−吉宗−家重−家治−家斉−家慶−家定−家茂−慶喜と15代続いた。1603年天
下普請で江戸城本丸・二の丸・三の丸・西の丸を築かれ、1607年初代天守が完成。16
16年家康没後、2代将軍秀忠が拡張工事を引き継ぎ、1623年2代目の天守、163年
3代目天守、1639年3代将軍家光の時、全てが完了した。1657年江戸の大火で天守
・二の丸・三の丸が焼失。1867年二条城で15代将軍慶喜から「大政奉還」が告げられ
、翌1868年江戸城は朝廷下となり「東京城」と称された。1956年江戸城外堀跡が国
指定史跡、1960年江戸城跡が国特別史跡、1961年田安門・清水門・外桜田門が国重
要文化財に指定される。1966年平川門、1967年大手門を復元。2006年日本10
0名城選定。現在、田安門・清水門・外桜田門・富士見櫓・伏見櫓+多聞櫓・三の丸巽櫓・
百人番所・大番所・同心番所などの建物が現存し、曲輪、石垣、土塁、水堀、井戸跡、天守
台などが残る。
【所感】現在、江戸城跡で見学出来るエリアは北の丸・東御苑〔本丸・二の丸・三の丸〕・
西の丸となっています。北の丸はフリーエリア、東御苑は北桔橋門・平川門・大手門で手荷
物検査後に入園ができ、西の丸は桔梗門から午前1回・午後1回の皇居参観〔ガイド同行〕
で入園可能です。私はこれらエリアをのべ4日間撮りましたが、それでも十分とは言えず、
これに外堀周辺の史跡〔赤坂門跡や牛込見附跡など〕や関連史跡を加えたら、どれだけの期
間が必要か容易に計れません。流石、日本最大の城郭。
現存 富士見櫓・本丸
現存 天守台・本丸
金明水井戸・天守台・本丸
復元 北桔橋門・本丸
石室・本丸
松之大廊下跡碑・本丸
復元 富士見多聞櫓・本丸
御書院門跡〔中雀門跡〕・本丸
汐見坂門跡・本丸
上梅林門跡・本丸
梅林坂・二の丸
二の丸巽櫓台
諏訪の茶屋・二の丸
二の丸庭園
白鳥濠・二の丸
下梅林門跡・三の丸
復元 平川門・三の丸
現存 三の丸巽櫓
復元 桔梗門〔内桜田門〕・三の丸
復元 大手門・三の丸
大手三の門跡・三の丸
同心番所・三の丸
下乗門跡・三の丸
銅門跡・三の丸
現存 百人番所・三の丸
中の門跡・三の丸
大番所・三の丸
蓮池濠・西の丸
正門鉄橋〔二重橋〕・西の丸
現存 伏見櫓と正門石橋・西の丸
現存 皇居正門〔西の丸大手門〕と正門石橋・西の丸・的場曲輪
的場曲輪・西の丸
復元 坂下門・西の丸
田安門・北の丸【国重要文化財】
清水門・北の丸【国重要文化財】
日本武道館・北の丸
乾門〔移築:旧紅葉山下門〕・上覧所跡
半蔵門〔移築:旧和田倉門〕・吹上曲輪
現存 外桜田門・西の丸下曲輪【国重要文化財】
西の丸下曲輪
楠木正成騎馬像・西の丸下曲輪
和田倉門跡・西の丸下曲輪
和田倉橋・西の丸下曲輪
和田倉濠・西の丸下曲輪
日比谷濠・西の丸下曲輪
馬場先門跡・西の丸下曲輪
凱旋濠と外桜田門
桜田濠
半蔵濠と鉢巻石垣