三河 絵下城
Ege castle

絵下城跡【愛知県刈谷市泉田町絵下城・惣助改田】

【立地】丘城

【歴史】築城年は定かではない。標高10m、比高5mの台地端に築かれた単郭の方形城館で、156
3〜1564年「三河一向一揆」の際、一揆方の守将であった矢田作十郎の居城とされる。矢田氏は祖
父の代から松平氏に仕え、作十郎は広忠・家康に仕えた。一向宗門徒であった為、三河一向一揆の際は
一揆方の大将として家康勢と戦い、1564年11月25日家康の上宮寺攻めで鉄砲に中って討死した
と云う。現在は住宅、公園となり、遺構はない。


【所感】北方に境川、南方に逢妻川が流れるエリアで、AIコンフォート今川寮〔今川町山ノ神〕西側
の住宅地北端が城跡になります。現在は全く面影はありませんが、城跡の西端とされる三角形の公園に
“絵下城児童遊園”の看板が掲げられ、城の存在を知らせてくれます。周辺には会城・絵下ノ東・城前
・市場屋敷なる地名も残っています。


 

絵下城児童遊園〔写真:左〕絵下城跡北端〔写真:右〕