遠江 松葉城
Matsuba castle
松葉城跡【静岡県掛川市倉真】
【立地】平山城
【別称】河合氏古城
【歴史】明応年間(1492〜1501年)頃、標高200m、比高60mの尾根上の頂に
築かれた平山城である。1496年9月松葉城が反今川派の勝間田播磨守、鶴見因幡守に攻
められ、城中から落合某の内応もあって落城し、松葉城主河合成信と妻は長松院の淵に身を
投じたと云う。河合氏の出自には諸説あり、『遠江石風土記伝』には、1160年『平治の
乱』で敗れた藤原信西入道の子中納言宗忠が遠州国山名郡川井村に配流されて後に河合氏を
名乗り、子孫が今川氏親〔1473〜1526年〕に仕えて松葉城主になったとある。『円
通松堂禅師語録』には、1496年10月『菊源氏成信侍中補庵宗忠戦死す』とあり、河合
氏は源頼政系菊源氏の出自と記している。『河合家系譜』には『鎮守府将軍〔藤原〕利仁の
末裔河合但馬守遠州松葉城主』とある。現在は山林となり、曲輪、堀切、土塁が残る。
【所感】グーグルには新東名高速道路に北に『松葉城跡』が記されていますが、実際の場所
は倉真川の南側で、蛇行する川を外堀として築かれています。登城口は倉真川がΩカーブを
描く県道81号線をショートカットする新造の道沿いで、梯子のような階段が有る場所です
。梯子のような階段を登った後はジグザグ道になり、尾根に乗っかると登り坂になります。
途中、堀切を横切り、登り切ると北東尾根の堀切に辿り着きます。この堀切から左へ下ると
もう一つの堀切、右へ登ると腰曲輪を経て石碑が立つ本曲輪に着きます。石碑の場所が本曲
輪上段、南側〜西側にかけて本曲輪下段が隣接しています。本曲輪から南西尾根に下ると2
つ腰曲輪、そこから西に折れる尾根に二重堀切が有るようですが、この日は確認出来ず諦め
ました。ここまでの遺構を北遺構群と勝手に呼びますが、本曲輪から南東に伸びる尾根を渡
って辿り着いた尾根を南遺構群と呼ばせて頂きます。南遺構群の尾根に乗ったその場所が東
西に長い曲輪で、東へ歩いて1つ曲輪を経て、ダンゴムシの背中のような丸い尾根を超える
と眼下に大堀切があり、その先も尾根が続いています。再び長い曲輪に戻って反対の西尾根
をどんどん下って行くと曲輪が1つ、尾根端に堀切があります。全ての尾根端に堀切が造ら
れていること、尾根を削平して造られた狭い曲輪が特徴です。堀切や腰曲輪へ下りて行く際
は急斜面でストックが必要になりますが、市指定史跡でも無いのに散策道がよく整備され、
訪城者にとって有難い城跡です。
松葉城跡登城口
登城道
登城途中に横切る堀切・本曲輪北西尾根の堀切・北遺構群
本曲輪北東尾根の2つの堀切・北遺構群
本曲輪北側の腰曲輪・北遺構群
南西尾根の腰曲輪・北遺構群
南西尾根先端の曲輪・北遺構群
本曲輪上段・北遺構群
本曲輪下段・北遺構群
北遺構群→南遺構群へ尾根上を移動
長い曲輪・南遺構群
長い曲輪東側の曲輪・南遺構群
丸い尾根・南遺構群
箱堀のような大堀切・南遺構群
長い曲輪から下る西尾根・南遺構群
西尾根の腰曲輪・南遺構群
腰曲輪から下る西尾根・南遺構群
西尾根端の堀切・南遺構群