三河 藤井城
Fujii castle

藤井城跡【愛知県安城市藤井町本郷】
藤井戸跡【愛知県安城市藤井町東山】
 安正寺【愛知県安城市藤井町本郷3】
 光忠寺【愛知県蒲郡市西浦町北馬場36】

【立地】平城

【市指定史跡】藤井城址・藤井戸跡

【藤井松平家】利長 ― 信一 = 信吉 ― 忠国 ― 信之 ― 忠之

【上山松平家】信通 ― 長恒 = 信将 ― 信亨 ― 信古 ― 信愛 ― 信行 ― 信宝 ― 信庸 = 信安

【歴史】松平宗家5代長親の居城安祥城の支城として、福釜城、桜井城と共に築かれた城である。
南方の東条吉良氏の備えを目的とし、松平宗家5代長親の五男利長が藤井に住み、藤井松平家の祖
となる。初代利長は、1540年織田信秀の三河安祥城攻めで、安祥城防戦に成功。1560年「
桶狭間の戦い」の丸根砦攻めで討死した〔戦死は間違いと云う説もある〕。2代信一は家康の大高
城兵糧入れ、丸根砦攻めに従事。1561年「長沢城攻め」1563〜1564年「三河一向一揆
」1568年信長の「箕輪城攻め」などで戦功を挙げた。1570年「姉川の戦い」1575年「
長篠、設楽ヶ原の戦い」1584年「小牧、長久手の戦い」に従事。1590年家康の関東移封に
伴い、下総国布川へ移り、廃城。1601年常陸国土浦藩3万5000石で大名となる。桜井松平
家5代忠吉の次男信吉が2代信一の婿養子に入り、1602年5000石を賜り、3代の家督を継
いで4万石を領した。1617年上野国高崎藩5万石を領し、1619年丹波国笹山藩主となる。
1649年4代忠国は播磨国明石藩主7万石、5代信之は大和国郡山藩主・下総国古河藩主となり
、6代忠之で除封。代わって6代忠之の弟信通が藤井松平家を継ぎ、大和国興留藩・備中国庭瀬藩
を経て、上山藩へ移り、上山松平家の祖となった。その後、長恒−信将−信亨−信古−信愛−信行
−信宝−信庸と続き、信安で明治を迎えた。現在は石碑が立ち、遺構は無い。

【所感】県道294号線藤井南信号の1本北の道を東へ入ると、左手に安正寺が在ります。安正寺
から南東方向に石碑が見え、藤井公民館の横、秋葉社と同地になります。藤井松平家初代の利長は
形原松平家の菩提寺「光忠寺」、2代〜4代は高野山の浄真院に葬られています。城址碑の450
m程北、県道294号線沿いに藤井戸跡の石碑・井戸跡が在ります。「藤井」の地名の由来となっ
た井戸です。藤の花のような澄んだ綺麗な清水が沸いていたそうです。


 

藤井城址の看板と秋葉神社〔写真:左〕藤井城址の石碑〔写真:右〕


 

藤井戸跡〔写真:左〕藤井山 安正寺〔写真:右〕