越前 福井城
Fukui castle

福井県庁・福井県警察本部【福井県福井市大手3丁目17−1】
        中央公園【福井県福井市大手3丁目11
       福井市役所【福井県福井市大手3丁目10−1】
      福井県民会館【福井県福井市大手3丁目11−17】
 福井市立郷土歴史博物館【福井県福井市宝永3丁目12−1】

【立地】平城
【別称】北ノ庄城

【国名勝】養浩館庭園

【歴史】1574年家康の次男として生まれた秀康は、1584年「小牧、長久手の戦い」
の和解条件として秀吉の養子〔人質〕となったが、1590年下総国結城城主結城晴朝の養
子に入り、結城秀康と名乗った。1600年「関ヶ原の戦い」の戦功により、1601年下
総国結城から越前国北庄藩67万石へ移り、初代藩主となった。領国に入った秀康は北ノ庄
城と城下町の整備に取り掛かり、現在の福井市街の基礎を築いた。本丸を旧北ノ庄城の北側
に配して4重5階の天守を造営し、二の丸も合わせて縄張りは徳川家康が行ったものと伝え
られる。1604年松平姓に復して越前松平家となり、1606年に完成したが、1607
年秀康は病没。嫡男忠直が継ぐことになるが、1612年久世騒動、1615年「大坂夏の
陣」の論功行賞への不満などにより、1623年豊後国萩原へ配流となった。1624年越
前国高田から50万5000石で忠直の弟忠昌が入り、北ノ庄から福井と改めた。1669
年4代光通の時、大火で建物が焼失し、1670年幕府の許可を得て再建を行ったが、天守
は再建はされなかった。その後、昌親−綱昌−昌親〔吉品〕−吉邦−宗昌−宗矩−重昌−重
富−治好−斉承−斉善−慶永と続き、茂昭で明治を迎える。現在は水堀、石垣、天守台、井
戸跡などが残る。

【所感】福井城跡は本丸内に福井県庁と福井県警察本部、西側に中央公園、福井市役所、福
井県民会館、南にJR福井駅などが在り、福井市の中心部に位置します。内堀がしっかり残
されているので、地図でも現地でも探すことは容易です。本丸西の中央公園は市民の憩いの
場になっていますが、城址でも天守台で記念写真を撮る人、堀の水鳥に餌をあげる家族など
、多くの人が集まります。本丸の北300mに福井市立郷土歴史資料館が在りますが、ここ
に復元された舎人門、松平春嶽公像、春嶽が名付けた国名勝「養浩館庭園(旧御泉水屋敷)
」が在ります。ここへ来る時は、必ず北の庄城跡も訪ねます。





福井城本丸全景





本丸巽櫓台



本丸艮櫓台

 

本丸坤櫓台〔写真:左〕本丸内から見た坤櫓台〔写真:右〕



御本城橋と本丸大手門(瓦御門)跡

 

本丸大手二之門の石垣

 

三岡八郎(左)と横井小楠(右)の九州旅立ちの像〔写真:左〕内堀の亀〔写真:右〕



本丸北不明御門跡



本丸北不明御門西側の雁木



福井の語源「福の井」




小天守台



大天守跡と大天守脇櫓跡





天守台

 

御廊下橋〔写真:左〕御廊下橋の内部〔写真:右〕



本丸大手門東側の雁木と福井城址碑





復元 舎人門・福井市立郷土歴史博物館