尾張 福島宰相宅
Fukushima Saisho residence

福島宰相宅跡【愛知県あま市二ツ寺字屋敷】
   菊泉院【愛知県あま市二ツ寺字屋敷69】

【立地】平地
【別称】福島屋敷・福島宰相屋敷

【歴史】1561年、福島正則〔1561〜1624年〕は海部郡美和町二ツ寺に生まれた。母が
秀吉の叔母であった為、幼少より秀吉に仕えた。1578年「三木城攻め」が初陣で、1582年
「山崎の戦い」で500石を得、1583年「賤ヶ岳の戦い」では“賤ヶ岳の七本槍”と称され、
5000石を与えられた。1587年「九州征伐」の後、伊予国今治11万石の大名となる。15
95年尾張国清洲24万石を得て、清洲城主となる。1600年「関ヶ原の戦い」では東軍に属し
、戦後、安芸国+備前国49万8200石の藩主となる。1610年名古屋城築城に際し、堀川の
開削を担当。1619年台風で水害を受けた広島城を無断で修理し、武家諸法度に反した為、改易
となった。屋敷跡は石碑が在る場所の西辺りとされる。

【所感】県道126号線花長信号を北へ700m程進んだ左側に福島正則の石碑が立っています。
道が左へ少しクランクする場所で、防火用水横に看板も在って分かり易くなっています。美和町は
福島正則の他に蜂須賀小六、豊臣秀次の実父三好吉房の屋敷跡も在り、戦国時代において中身の濃
い地域です。同じ道沿いで150m程北へ行った菊泉院に福島正則公の供養塔が在ります。



  

福島正則誕生地の石碑〔写真:左〕福島正則生誕地の石碑〔写真:中央〕福島正則公生誕地〔写真:右〕

  

福島正則公供養塔〔写真:左〕福島正則公記念碑〔写真:中央〕福島正則公の菩提寺「菊泉院」〔写真:右〕