三河 五本松城
Gohonmatsu castle

五本松城A跡【愛知県豊橋市石巻中山町城屋敷・五本松】
五本松城B跡【愛知県豊橋市石巻中山町五本松】

【立地】五本松城A跡:丘城
    五本松城B跡:山城

【歴史】応永年間(1394〜1428年)頃、三河守護代として西郷盛正が肥前国高来郡
西郷から三河国八名郡へ移住したことに始まり、7代孫の正員が石巻西郷氏の祖となる。正
員は五本松城を本城とし、今川氏に属したが、1529年松平清康の「吉田城攻め」、15
30年「宇利城攻め」では松平氏に属した。1535年「守山崩れ」で松平清康が横死する
と、再度、今川氏に属した。1551年正員没後、正勝が継ぎ、正勝の嫡男元正は月ヶ谷城
へ移った。1560年「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると、家康に属した為、156
2年今川氏家臣朝比奈泰長に攻められて落城となり、正勝、元正父子は討死した。五本松城
は屋敷城〔五本松城A〕とされ、背後の山〔標高218m、比高90m〕に詰城〔五本松城
B〕を設けていたと思われる。現在、「五本松城A跡」は畑、宅地に変わり、石碑が立ち、
「五本松城B跡」は山林となり、曲輪、土塁、堀切が残る。


【所感】県道81号線石巻萩平信号から北へ100m程進み、右へ曲がると中山集落への道
になります。1キロ程進むと、左手に医神社、右手に石野中山町公民館が在ります。公民館
横の道を南へ進むと、道の角に石碑が立っています。ナビで五本松まで入れれば、この場所
にたどり着きます。この石碑が立っている土手は石垣で固められていますが、田地を支える
もので、往時のものでは無いようです。石碑の背後に在る尖った山が詰城「五本松城B跡」
で、南側の尾根続きを幅7m堀切と土塁で断ち切っています。五本松城B跡の登城口は城跡
の北西麓で、杉の苗木が植わっているジグザグの道を登り切った辺りから山林を入ります。
一様、溝のような道を見つけることが出来ますが、枝葉や倒木が遮るように幾つもある為、
登城はあまりお薦め出来ません。




五本松城A跡に立つ五本松城址の碑


 

五本松城B跡の堀切

 

五本松城B跡の土塁〔写真:左〕五本松城B跡の曲輪〔写真:右〕