遠江 護応土城
Goohdo castle
護応土城跡【静岡県榛原郡川根本町東藤川・静岡市葵区日向】
【立地】山城
【別称】五応度城
【歴史】智者山〔標高1291m〕の南尾根〔標高950m、比高640m〕に築かれた山
城である。1353年今川範氏が駿河南朝方の拠点であった鴇(土岐)彦太郎が籠る徳山城
を攻めた。その北方の搦手筋〔川根街道〕に護応土城が在り、徳山城に先だって合戦があっ
た。伊達景宗軍忠状に「藁科越壱木戸於五応度要害」とあることから、街道を遮断する柵な
どが築かれたと思われる。現在は山林となり、自然地形で古道の切通しが残る。
【所感】護応土城跡の場所はグーグルに載ってます。登城口は城跡の西側で、国道362号
線から「富士城」看板の場所で曲がり、富士城集落の北端が起点となる林道智者山線を20
0m程北上した砂利道の右側に護応土城址案内〔護応土城址見取図〕と登城口があります。
駐車は周辺の広い路肩に止めます。「本丸方面→」と書かれた看板から入山に入ると、道が
ずっと奥まで続いており、最高地を越えて尾根が細くなった笹が茂る場所に旧街道の切通し
があります。「本丸」の看板が立つ場所は、道の最高地〔壕の看板〕から左へ上がった場所
で、ここから辺り一帯を見渡すと、起伏のある自然地形が広がっていますが、本丸も含めて
平坦地は見られず、緩傾斜となるように穿たれた旧街道が中央を通っています。最新の縄張
図の解説にありますが、当城は南方に徳山城〔無双連山〕、北の智者山、西の大井川に至る
交通の要所であり、水源〔水の手〕もあることから、ここに駐留して戦ったのではないかと
思われます。


護応土城址案内と登城口

護応土城址の標柱







切通しに至るまでの道・旧街道

旧街道の切通し

本丸

大手口方面

旧街道か・千頭方面
