陸奥 八戸城
Hachinohe castle

       八戸城跡【青森県八戸市内丸】
  八戸城東門・根城跡【青森県八戸市根城字東溝35−1】
八戸市文化教養センター【青森県八戸市内丸3丁目3−6】

【立地】平城
【別称】柏崎館

【歴史】八戸城は根城南部氏2代政長の三男信助が支城として築いた中館が始まりとされる
が、館の位置、規模の記録は無い。1627年3月盛岡初代藩主南部利直は根城南部氏を遠
野1万2000石へ移封。八戸領を盛岡藩直轄地にして根城を廃し、柏崎に城代屋敷を築い
て町場を開いた。これが近世八戸城の前身で、屋敷的な構造であったと思われる。1650
〜1652年盛岡2代藩主南部重直が八戸御作事御普請を実施、八戸御家と称される殿舎な
ど整備、鷹狩りの宿館として利用し、八戸御城と私称された。1664年重直が後嗣を決め
ずに没したため、幕府は所領を二分して重直の弟重信に盛岡3代藩主8万石を継がせ、直房
が2万石の初代八戸藩主となった。八戸2代藩主直政は文筆に優れ、1688年外様大名な
がら徳川5代将軍綱吉の側用人を勤めた。その後、1699年通信〔盛岡藩主南部重信の四
男〕−1716年広信−1741年信興−1765年信依−1781年信房−1796年信
真〔信依の三男〕−1842信順〔島津重豪の八男〕と続き、1871年廃藩になる。現在
は公共施設、市街地となり、移築門が残る。


【所感】城域の殆どは公共施設や市街地となり、本丸の一部が三八城公園となっています。
八戸城の城下は、今でも根城町から商家を移した三日町・十三日町・廿十三町、新田町から
商家を移した六日町・十六町・廿十六日の町名が残っています。




初代八戸藩主南部直房公・本丸



八戸城址碑・本丸









本丸・三八城公園



三八城神社・本丸



八戸城跡碑・本丸



移築 八戸城東門・根城跡入口



移築 八戸城角御殿表門・八戸市文化教養センター