尾張 蜂須賀城
Hachisuka castle
蜂須賀城跡【愛知県あま市蜂須賀字北本郷】
蓮華寺【愛知県あま市蜂須賀字大寺1352】
圓龍院【愛知県あま市蜂須賀字北本郷1289】
【立地】平城
【歴史】1526年尾張国海部郡蜂須賀郷に蜂須賀小六正勝〔1526〜1586年〕は生まれた。天
文年間(1532〜1555年)頃、小六の母が安井弥兵衛の娘であった為、小六が木曽川以南の川並
を支配した。若年期は川並衆を率いて、木曽川の水運業で利益を得ていたと思われ、斉藤氏、織田氏に
一時的に仕えることはあったが、主に独立勢力と存在したと云う。1566年頃、木下藤吉郎の墨俣城
築城で活躍し、以来、秀吉の家臣として中国攻めなどに参戦した。嫡男家政も父と共に信長、秀吉に仕
え、1583年「賤ヶ岳の戦い」に参戦し、1584年播磨国佐内郡内3000石を得た。1585年
「紀伊雑賀攻め」「四国征伐」で武功を挙げ、正勝は阿波国18万石を与えられたが、家督を譲って家
政が得るところとなる。1600年「関ヶ原の戦い」の際、家政は阿波国を豊臣秀頼に返上し、自身は
出家して高野山に入った。中立的な立場をとっていたが、嫡男至鎮を東軍に参加させ、戦功によって所
領を安堵された。1615年「大坂夏の陣」の後、淡路国を加増され、25万7000石となる。その
後、徳島城は蜂須賀家代々の居城となり、忠英−光隆−綱通−綱矩−宗員〔正員〕−宗英−正泰〔宗鎮
〕−頼央〔至央〕−重喜−治昭−斉昌−斉祐を経て、茂韶で明治を迎える。蓮華寺、圓龍院に石碑が立
ち、蓮華寺は小六の菩提寺である。城跡は圓龍院辺りとされ、現在は住宅となり、遺構は無い。
【所感】県道126号線赤切目信号を北へ曲がり、300m程走った三叉路を左へ進むと、突き当たり
に蓮華寺が在ります。蓮華寺入口に歴史看板、少し歩いた左奥に蜂須賀小六正勝公碑、蜂須賀城趾の石
碑が立っています。蓮華寺南の道を西へ進み、左折すると、圓龍院に蜂須賀小六正勝公旧宅の石碑が立
っており、この辺りに城が在ったとされます。
蜂須賀小六正勝公碑の石碑・蓮華寺入口
蜂須賀城趾の石碑・蓮華寺入口〔写真:左〕蜂須賀小六正勝公舊宅趾の石碑・圓龍院〔写真:右〕