尾張 埴原屋敷
Haibara residence

埴原屋敷跡【愛知県江南市小折町八竜】
  常観寺【愛知県江南市小折町八竜114】
  龍神社【愛知県江南市小折町八竜84】

【立地】平城
【別称】埴原加賀守宅

【歴史】埴原加賀守常安〔植安〕の屋敷とされる。信濃国埴原出身で諸国を巡っている時に
信長に召し出され、清洲城代も務めた。1567年信長より岩滝内で20貫文を得て、主に
財政面で活躍したとされる。馬術に優れ、能書家であり、「天下布武」の朱印を最初に貰っ
た3人の一人と云う。1582年「本能寺の変」の後、織田信雄に仕え、光音寺郷で500
貫文、養子の次郎右衛門寿安も別に270貫文を得た。1590年信雄改易後、岡崎信康の
正室徳姫〔母は生駒吉乃〕に随行して丹羽郡小折村に移住するが、1598年7月23日当
地で没した。現在は住宅に変わり、遺構は無い。


【所感】国道155号線南山町中信号を南へ曲がり、右5本目の脇道を入って100m程進
むと、左手に常観寺が在ります。寺の南側一帯が屋敷跡で、生駒屋敷の歴史看板に書かれて
いる絵地図を参考にされると分かりやすいと思います。生駒屋敷の北西150mに常観寺が
在り、西200mに埴原加賀守長久の葬地「埴原塚」の看板が立つ龍神社が在ります。





埴原屋敷跡辺り

 

埴原塚・龍神社〔写真:左〕生駒氏家臣ゆかりの力石〔写真:右〕