三河 欠城
Kake castle

         欠城跡【愛知県西尾市西幡豆町貝吹】
西戸城穴観音・中之郷古墳【愛知県西尾市西幡豆町中野郷14】

【立地】平城
【別称】掛之城・掛城・幡豆城・磯城・寺部古城・西戸城

【市指定史跡】中之郷古墳

【歴史】築城年は定かではない。小笠原安元−安次−広勝の居城とされる。今川義元に仕え
ていた安元は、1564年より家康に仕え、三河国幡豆郡に於いて旧領を給わった。156
9年「掛川城攻め」・1570年「姉川の戦い」に参戦。嫡子安広へ家督を譲ったが、15
72年「三方ヶ原の戦い」の際、安広は戦死、次男安勝は足に負傷、家督は末子広勝が継い
だ。1590年家康の関東移封に伴い、広勝は上総国周集郡へ入り、飯野を本拠に二間塚・
青木・川名・篠部などで2500石を与えられたと推定される。1592年秀吉の朝鮮出兵
では家康に従って名護屋城へ出向き、1600年家康の「上杉征伐」では江戸城大橋御門の
警備、「関ヶ原の戦い」の際は江戸城西の丸の警備に当った。欠城は、家康関東移封の時期
に廃城になったとされる。場所は穴観音を中心に西南方の海岸に迫って築かれたとされ、現
在は住宅となり、遺構は無い。

【所感】城跡は名鉄蒲郡線の南、穴観音・中之郷古墳〔貝吹古墳〕南西側に在ったとされま
す。観音堂の東隣りに在る中之郷古墳から高さ30センチの木製観音像が発見され、それを
村人が堂宇に祀ったことが穴観音の由来のようですが、小笠原民部丞左衛門の持仏とも伝わ
れます。現在、横穴式石室の入口に穴観音の提灯と共に観音石像が祀られていますが、その
奥に石室の広い空間が見えます。


《中之郷古墳》中之郷古墳の築造は最近の調査で5世紀後半であろうと言われている。横穴
式石室を持つ古墳としては西三河でも最古のものの一つで、北九州から海路による文化伝播
が考えられ、古墳からは太刀や馬具、銅鏡2面と人骨などが発掘されている。





穴観音・中之郷古墳