伊勢 羽津城
Hazu castle
羽津城跡【三重県四日市市羽津山町22・城山町10】
【立地】平山城
【市指定史跡】
【歴史】応永年間(1394〜1428年)、赤堀右衛門盛宗の築城〔1470年とも〕と
され、羽津・八幡・吉沢など6ヶ村を領有し、国司北畠氏に属した。盛宗は赤堀城主赤堀肥
前守景信の長子で藤原秀郷の末裔と云う。盛宗が羽津城主、弟秀宗は赤堀城主、末弟忠宗は
浜田城主で、これを赤堀三家と呼び、羽津は宗久−宗善−宗慶−宗昌−近宗〔国虎〕と続い
た。1571年茂福城主朝倉盈豊は近江六角義賢との内通の噂が流れ、信長の臣滝川一益に
長島城で誘殺、茂福は落城した。1572年近宗〔国虎〕も山口次郎四郎に茂福城で誘殺さ
れ、羽津城を包囲・開城、羽津城番として滝川新右衛門が入った。1584年「小牧・長久
手の戦い」では秀吉が羽津城に陣を置いたと云う。現在は近鉄名古屋線を跨ぐ形で公園とな
り、石碑と土塁の一部が残る。
【所感】近鉄名古屋線阿倉川駅−霞ヶ浦駅間の線路上が城跡〔公園〕なります。この公園が
本丸らしく、線路で分断された本丸を2本の跨線橋で繋いでいます。
羽津城跡の石碑・線路北側の公園
土塁か・線路北側の公園
線路南側の公園
公園西側の跨線橋
公園東側の跨線橋から見た公園西側の跨線橋